花の窟


八日目
『俺のしたことの意味はなんだったんだ?ただ単に、揚羽を傷つけただけだったのか。あの強い瞳が消えるなんて思っていなかった。震えて、脅えていたけれども、そこまで弱いとは思っていなかった。結局、山神の方が正しかったのだ。俺のしようとしたことは、ただの自己満足だったんだ』

朝、目覚めると、傍らに眠る揚羽はピクリともしなかった。
グッタリと生気のない青い顔で眠っている。葛葉は出てはこない。
穢れた体だけ残して、二人の心は胸の奥深くに閉じこもったまま、抜け殻同然になってしまっていた。
『まだ目覚めぬのか・・・・・・?』
 いつのまにか、嘉吉たちのいる岩室の中に入ってきていた山神が、黒髪になってしまった揚羽を見ながら、嘉吉に問うた。
「あなたの言うとおりだったのだな。人は完璧ではない。どんなに強くても、逃げてしまいたくなることがあるということに、俺は気がつかなかった。俺は・・・・・・あの強い目が好きだった。俺にない強い意思に惹かれていた。俺は自分の理想を揚羽に押し付けようとしていたのかもしれぬ」
 嘉吉が眠る揚羽の側に項垂れたまま座り込みながら、言葉をもらす。
 吐き出す言葉すべてが、後悔し自分を呪う音のように聞こえた。
 いつか苦しくなる時がくるという山神の言葉が、今の嘉吉にはズッシリとのしかかってきている。
『わしが呼んでやろう・・・・・・心のうちにて二人を呼び覚ます』
「いい。目覚めたくないのなら、ずっと眠らせていてやって欲しい。きっと穢れ゛なくなれば目覚めるつもりなのだろう」
 昨夜、嘉吉には穢れが揚羽に戻るのが分かっていた。
 苦しそうだったのに、それを気遣ってやれなかった。
「山神殿・・・・・・俺と揚羽の二人にしてくれないか?」
『ぬし一人で何をする?』
「目覚めなくとも、意識はあるのだろう?聞こえているのなら、言いたいことがあるんだ」
『・・・・・・あい分かった』
 眠る揚羽に視線を残しながら、言葉とともに、山神は風の中に姿を消して出て行った。嘉吉はじっと揚羽の眠る顔をのぞき込みながら、黒くなった髪をゆっくりとすいた。
 つややかではあるが、それは確かに人の髪に触れたときの感触である。
「苦しかったのか?」
 そのまま額に触れる。
「怖かったのか?」
 頬に・・・・・・・。
「俺は契りが終われば、お前に言おうと思っていた。男子を産めト・・・・・・男子を産んでくれれば、俺は領主としての義務を果たしたことになる。強い、病にも負けぬ強い男子を。誰にも劣らぬ才を持ち、一族を納得させるような男子を産んでくれれば、妻はいらぬと、俺はそう言うつもりであったよ」
 唇に触れる。
「花嫁でも、巫女でもなくなったお前たちが自由になれるように、お前のあの強い綺麗な目が消えぬようにしたかった。あの目が消えてしまうくらならば、妻などいらぬと思った」
 首筋に触れる。
「なのに、お前は逃げるのか?あの目は嘘か?お前が今逃げれば、お前の言った言葉すべてが嘘になる。山神のためなら何でもすると言った言葉を思いだせ。お前の気持ちはその程度だったのかと、俺に失望させるな!戻って来い!穢れを恐れるな!穢れはお前が山神の側にいるための資格ぞ!本当に欲しければあきらめるなっ!」
 抱きしめる。
「でなければ・・・・・・俺自身が諦めきれぬ」
 微かに息をする唇を塞いだ。
「穢れは消えぬ・・・・・・だから逃げていても仕方ないのだぞ。子には子の魂がある。お前の居場所はここしかないのだ。戻って来い、諦めるな、逃げるな・・・・・・あの目をもう一度俺に見せてくれ」
『好きだ』と、音には出さずに嘉吉はつぶやいた。
 一生、自分がこの言葉を口にすることなどないのだと、成長していくにつれ思うようになっていた嘉吉の、心の底からその気持ちを呼び覚まし、魂ごと引き絞るようにつぶやかれた重い重い意味のある言葉は、それを聞くべき相手の耳には届かなかった。
 揚羽も葛葉も嘉吉の呼びかけには答えず、ただ眠り続ける。
 婚礼の晩、四日目のことである。

『誰かが何かを囁いている。何て辛そうな声なのかしら。誰を呼んでいるの?誰に話しかけているの?どうして答えてあげないのかしら。あんなに、あんなに・・・・・・つらそうなのに。今にも泣き出してしまうそうな声なのに』










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★ コメント★
八話目はちと短い話になってしまいました。
日にちで分けていくから、ヒロインが寝込んでるので話が進まないんですね(^−^;)すいません。
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