花の窟
七日目
『結局・・・・・・一睡もできなかったか。自分の中から答えなどでてこない。今まではいつも自分の答えは決まっていたから。言われたことに頷くだけだったから、どうしていいのか分からない。何をするかも分からない。何を言ってしまうかも分からない。俺は今はじめて自分を恐れている』
岩室の中にもかすかに光が滲んでくる。
朝が訪れたことを小さな光では感じた。けれど、昨夜一睡もしていないせいで、思考がまとまらず、だらだらと床に入ったまま動こうとしなかった。
今は山神にもにも会いたくはない。
嘉吉はふて寝するように入り口に背を向けた。
「嘉吉・・・・・・まだ寝てるの?」
そっと揚羽が入り口から遠慮がちに声をかけてくる。
いつもと違って弱気な態度は、逃げたことに対して自分を恥じているようだった。
「起きている。何か用か?」
落ち込んでいたはずの心が、揚羽の声を聞いただけで、緩んでくるのを感じた。
気持ちとは、自覚した分だけ今までよりもさらに大きくなるものだと、嘉吉は知った。
昨日よりも、ずっと揚羽を意識している自分がいる。
楽しいだけではない、初めて感じる切なさに嘉吉は自分自身で驚いていた。
「別に・・・・・・用というか、昨日もその前も逃げて悪かったわ。今日は逃げないようにするから、気が向いたら着てね。隣の室にいるから」
意外な揚羽の言葉に、嘉吉は振り返って揚羽を仰ぎ見た。
揚羽も眠れなかったのか、ひどく青ざめた顔をしている。
やはりその目だけはいつもと変わらずに輝いているのだが。
「揚羽・・・・・・眠れなかったのか?」
明らかに昨日までと違う嘉吉の態度に、揚羽もまた驚いていた。
今までの嘉吉は、揚羽のことを気遣ったことなど一度もなかったのだから。
いつも自分のしたいように初めて、揚羽が逃げるとそのまま放っておいてどこかへと行ってしまう。
葛葉が眠りに落ちたあとに揚羽が出てくるといつも一人きりにされていた。
「なぜ、そんな目で私を見るの?その目は何?山神と同じ目をしないで!」
「同じか?似ていてもまったく違うものだ。だが似ているだけで揚羽が逃げぬと言うのなら、ずっとこの目を持っていよう・・・・・・」
「何を言ってるか分かってるの?」
「分かっている。自覚したばかりで少々言葉が足りぬことは許せ」
嘉吉はゆっくりと起き上がり、入り口の方へと静かに歩んで行った。
入り口で揚羽が後ずさりしようとして、唇をきつく結び思い留まる。
今日こそ逃げてはならないのだと自分自身に言い聞かせてきたばかりだったからだ。
だが、体の方は正直に震えだしている。
まるで嘉吉が見たこともない得体の知れない者のように感じて震えが止まらないのだ。
それでも揚羽は、嘉吉の惹かれたその目で、きつく睨みながら、じっと足を踏ん張っている。
「来い・・・・・・揚羽」
嘉吉は揚羽の数歩手前で足を止めると、揚羽に向かって手を差し伸べた。
揚羽自身の意思で来いとでも言うように、それ以上は近づいてこない。
揚羽はさっき「逃げないから」と口にした言葉を撤回してしまいたくなった。
「来い」
泣きそうに顔をゆがめた揚羽に向かって、もう一度嘉吉が囁いた。
揚羽は拳を握り締めると、ゆっくりと嘉吉に近づいてからその手を取った。
もう逃げられない。
揚羽はぎゅっと目をつぶったまま、嘉吉の腕の中へと引き寄せられていった。
気のせいか、嘉吉の腕も小刻みに震えているような気がする。
「くっそぅ・・・・・・」
それを肯定するかのように、嘉吉が小さくつぶやき、笑いをもらす。
「なぜあなたまで震えているのよ?」
さっきまで自分の方が震えていたのを棚に上げて、揚羽が不満そうにつぶやく。
「さぁな。人間の気持ちは複雑すぎて俺には分からぬよ」
他人事のようにそうつぶやくと、嘉吉はそれ以上何も言うなと揚羽に口付けた。
何度も何度も口づけた。
光のような淡い髪を背に回した手でもてあそびながら、ゆっくりと何度もすいていく。
「光そのもののような髪だな。触った感触がしない」
感心したように、嘉吉が言う。
「触らないで」
揚羽が身をよじり腕の中から顔を上げて不満げに訴えた。
「俺はこの世で唯一生まれた時から穢れを持たぬ者らしいぞ。揚羽が恐れているのは穢れか、それとも俺か?」
「穢れよ!あなたなんか怖くないわ!」
「なぜ穢れを恐れる?もともと自身にあったものだろう?」
「・・・・・・穢れを受けると、山神の側にいられなくなるから。この窟から出されてしまって、二度と立ち入れないんじゃないかと思うから、怖いんだわ」
急に力なく、大人しくなった揚羽が小さくつぶやいた。
嘉吉はそれを見下ろしながら、自分の中で一つのことを決心していた。
誰のためでもない、自分自身のために。
「俺がそんなことはさせぬよ」
今まで自分が寝入っていた床に、揚羽を横たわらせ嘉吉は再び深く口付けた。
床からは嘉吉の匂いがする。
ビクリと揚羽の体が揺れた。
それを押さえるように、嘉吉はゆっくりと自分の体重をかけていく。
揚羽が震えを堪え切れずに、昨日と同じように祈るように目をつぶった。
きっと心の中で山神の名を呼び、助けを求めているのだろう。
そう思うと嘉吉の胸の奥が軋んだ。
「揚羽、逃げるな」
逃げられぬように嘉吉は何度も名前を呼ぶようにした。その度に揚羽は意識を引きずり戻された。
嘉吉の愛撫が激しくなっていくごとに、祈りに逃げることもできなくなる。
何度も耳元で名前を呼ばれる。
叫びそうになる唇には、その度に何度も口付けられた。
決して逃がさぬと、嘉吉が決めているのだと揚羽は嫌でも気づかされる。
昨日までとは明らかに違う。
いったい嘉吉に何が起こったというのか?
「揚羽、逃げるな」
「嫌っ!」
何度囁いたのか分からぬ言葉を義務のように口にしながら、嘉吉が揚羽のもがく手をゆったりと捕らえる。
「・・・・・・揚羽」
「嫌っ!止めて!」
「止めぬよ、逃げぬと誓ったはこの口だろう?」
からかうように深く口付けながら、嘉吉が喉の奥で笑う。
真上から揚羽をのぞきこんでくるその目は、やはり山神のそれに似ていた。
「山神・・・・・山神・・・・・・山神・・・・・」
「気にいらぬな」
揚羽の言葉に、似ていてもいいと言った自分の言葉も忘れて、嘉吉はさらに容赦なく揚羽を征服していく。
揚羽は虚勢を張ることさえできずに、震え、咽び泣いた。
空気がその泣き声に同調して、黒い風を岩室へと招き寄せる。
穢れが揚羽の元に戻ってくる。
目の前の光が失われ、黒い風が揚羽を取り巻くように渦巻き、そのまま飲み込もうとしていた。
体中の皮膚という皮膚が、呼吸ができぬと悲鳴を上げだし、揚羽は喘いだ。
その喘ぎさえも嘉吉は容赦なく吸い取っていく。
体中の骨という骨がミシミシと音をたて、揚羽の体を内側から砕いていってしまいそうだった。
(これが穢れっ!?)
揚羽の中に封じらていた穢れが、外から入ってこようとする穢れに反応するかのように、内側から出たがって暴れ出す。体中の血という血が、その重圧と熱で沸騰するかのような気がした。
(私が消えるっ!)
悲鳴が絶え間なく揚羽の口から漏れつづけ、揚羽は確実に変化していく。
巫女から人へ・・・・・・。
人から女へ・・・・・・。
そして女から母へと・・・・・・。
嘉吉はその間中、ずつと揚羽の名前を呼びつづけた。
揚羽の意識が薄れてなくなりかけた頃、揚羽の淡い光のような髪と目が、黒く染まっていた。
気を失った揚羽の頬を伝っている涙の跡を、嘉吉はそっとなぞりながら息をもらした。
黒くなった揚羽の髪は、ひどく痛々しかった。
淡い、光のような綺麗な髪だったのに、綺麗な目だったのに。
『目覚めたくない。このままずっと眠っているわ。私は穢れた。穢れて違うものになってしまった。穢れが落ちて、自分自身の体になるまでこのまま眠っているわ。ごめんね、葛葉。私は辛いことを全部あんたに置いていくひどい奴だけど、あんたの見たくなかった部分をちゃんと持って消えてなくなるから、私の我儘許してね』
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★ コメント★
七話はなんだかシュールな話でした(^−^;)
書いててなんだかなぁ〜と思う自分がちょっとおかしかったです(笑)
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