花の窟


六日目
『何だか、おもしろくてたまらない。一日とはこんなにも短いものだっただろうか?何をするわけでもなく、ただ一日中、ここにこうしているだけなのに、何がおもしろいのだろう。あの強い目、生きている目・・・・・・今の俺も少しはあの目に似ているだうろか?』

 ぽっかりと開いた樹木の間から空を見上げて、はゴロリと花の上に無遠慮に寝転がった。
『花が泣くであろう。無体なことをする』
 空から声がする方を見ると、山神が宙に浮いて嘉吉を見下ろしていた。
「風が気持ちいいし、空も気持ちいい。寝転んで空を見てみたかっただけだ。他意はない。それに花が泣くのか?」
 さほど驚くふうでもなく、上体だけを起こして、嘉吉が宙に向かって言った。
『花にも心がある。ぬしには聞こえぬだろうが、わしには響く。どれ、宙に上がって話しをしてくれぬか?』
 山神がそう言うと、嘉吉の体はふわりと宙に浮き、山神と同じ高さにまで引き上げられた。
「山神殿が宙にずっと浮いているのは、こういうわけか」
 やはり驚くでもなく、嘉吉が言いながら自分が踏みつけた花々を見下ろした。
『それもあるが、わしのこの体は実態ではないのでな。歩くことと宙に浮くことはわしにとっては大差ない。それより、ぬしはなぜここにいる?との契りはまだすんでいないのであろう?』
 間近に山神の光のような目が嘉吉を覗きこんできていた。
 嘉吉は眩しげにそれを避けるように視線を窟へと向けた。
「どうして分かるんだ?」
『あれがわしの側に近づいてこれるからじゃ。わたしは穢れを持つ者には近づけぬ』
「穢れを持つ者?何だそれは?」
『ぬしは領主になる定めを持って生まれた者ゆえ、生まれつき穢れを持たぬが、普通の人間は穢れを持って生まれてくる。それをだんだんと自身で浄化しながら、人は成長していきやがて浄化し終えると死を迎える。それが普通の人間の一生じゃ。ただ、巫女になる者はその穢れを封じ込めてここに連れて来られる。そして領主に嫁ぐ時に、子を成すために再び穢れを身のうちに戻すのじゃ。揚羽はそれをひどく恐れている』
 山神も視線を窟に向けながら、悲しそうな、嬉しそうな、ひどく複雑な表情をしていた。反対には楽しそうに笑って一緒に窟を見ている。
「そうだな。いつも逃げられる。今も逃げられたばかりでな。今度は葛葉殿にも嫌われたようで、二人とも眠ったまま出てきてはくれぬ。暇なもので外に出てみたら、太陽が見えたから少し横になっていた。山神殿が嫌がるのなら、今度からは花は踏まぬようにする」
『・・・・・・ぬしがそのように笑えるとは思わなんだが、何があった?』
 嘉吉は「さぁ」と首を横に捻った。
「俺にも何がこんなに楽しいのか分からぬよ。揚羽の気持ちも分からぬし、葛葉殿気持ちも分からぬし、山神殿の気持ちも分からぬ。一つ聞いておきたいことがあるのだが・・・・・・山神殿は揚羽が必要なのか?それとも葛葉殿が必要なのか?揚羽のやろうとしていることを黙認しているのだから、やはり揚羽を必要としているのだろうか?葛葉殿は要らぬ者なのか?」
 山神の複雑な表情がさらに険しくなった。
 聞いてはいけないことなのかもしれないが、嘉吉はどうしても確認しておきたかった。
 自分がなぜこんなにも楽しんでいるのか、それは揚羽に会っているからか、それとも葛葉に会っているからか。
 人を愛したことも恋したことも嘉吉はない。
 だからこの気持ちが何であるのか分からない。
 ただ、この気持ちは山神のそれと似ているということだけは分かる。
 覗きこんだ水瓶の中の自分の顔が、今の山神と同じような表情をしていたからである。
 だから、自分の気持ちを分析する上で、山神の気持ちの確認は必要だった。
 山神に問いたい質問は、自分にも問いたいことだった。
 山神が何らかの答えをくれるのなら、それがきっかけになって嘉吉自身の答えもでるかもしれないのだ。
『愚問だろうて・・・・・・わしは神じゃ。わしには人は愛せぬゆえ必要ではない』
「愛せぬ?必要ではない?そんなはずはなかろう。昔の巫女は神の花嫁だったのではないか?あれは人ではなかったのか?」
『人であったからこそ、愛せなくなった。同じ人であるぬしには分からぬよ・・・・・・』
「分からぬで終わらせてもらっては俺が困る。人である俺には分からなくても、神であるあなたに答えが出ているというのなら、俺はそれが知りたい。そうでなければ、俺はこの気持ちがなんであるのか永遠に分からぬ」
 嘉吉は視線を逸らそうとした山神を、真正面から睨みつけた。
 本当にこの気持ちが何であるのか、嘉吉は知りたかった。
 何もない自分に何かがあると信じたかった。今、嘉吉は生まれてから初めて心が動いたのだから。
『・・・・・・分からぬよ。たとえ同じ気持ちであったとしても、ぬしには資格がある。揚羽を、葛葉を守り必要として求めるための資格がある。何も考える必要はあるまい。ぬしこそ何をわしから聞きたいというのだ?ぬしのその気持ちは人を欲する気持ちであろう?』
「人を欲する・・・・・・気持ち。俺にもそんなものがあるというのか?これはそういう気持ちなのか?人を欲する気持ちは苦しいときいた。俺はただ、今が楽しい。別に誰のことも欲してはあらぬぞ?」
『まだ始まったばかりゆえじゃ・・・・・・長い時間が過ぎると、それは苦しくなるやもしれぬ。楽しいままかもしれぬ。わしは苦しくなった。苦しくなって、耐えられぬようになった・・・・・・待つのも疲れたゆえ、諦めたのじゃ。愚かにも自分から手を離した。だからわしには資格がのうなった。天がそれを許すまい』
 天を仰ぎ、山神が囁いた。
 嘉吉は同じように一度、天を仰いでから窟の方を見た。
 脳裏に揚羽の強い意思を宿した目が浮かぶ。
(人である限り愛せぬと言うのなら、巫女でなくなっても、思いは実らぬのではないか?人である限り・・・・・・たとえ別の体を得たとしても・・・・・・)
「それでは揚羽はどうなる?あれはあなたの為に体を欲しているのだろうが?あなたが愛せぬというのなら、体を得たあと揚羽は何のために存在する?あなたは止めるべきではないのだろうか?」
『揚羽は葛葉の子の体を取ることなど、最初から不可能なのじゃ。できぬことよ。子には子に宿る魂がある。揚羽は葛葉の体から離された瞬間、消えてなくなるだろうのう』
「あなたはそれがわかっていて、揚羽をそのままにしているのか!?あれはただあなたの為にだけやっているのだぞ。俺が怖いくせに、逃げるほど怖いくせに、震えながら待っている。それなのに放っておくといわれるのか山神殿は!?」
 切なかった・・・・・・切ないと嘉吉は感じた。
 自分の心がてはない、揚羽の心が。
『そう信じさせてやらねば、あれはお前の物にはならぬ。それは許されぬことだ。それに・・・・・・揚羽の執着から解放されれば、葛葉は普通の人間として生きていける。揚羽も納得して浄化するだろう』
「それは違うっ!」
 思わず嘉吉は叫んでいた。
 宙に浮いたバランスのとれぬ体を、それでも精一杯つっぱりながら、嘉吉は拳を握り締め叫んだ。
 今、たった今、叫んだ瞬間に嘉吉は自分の気持ちを理解した。
 自分の持たぬあの強い意思が羨ましかった。羨ましくて、焦がれて欲して、側にいられることが楽しかったのだ。
 逃げれば何度ても追いかけよう。
 手に入らなくても、あの目を見ていられるだけでよかった。
 だが、あの目が消えてしまうのだ。
『何が違うという?』
「そんなことを揚羽が納得するはずがないではないか!あなたは長く側にいすぎて、何も分からなくなっておられる。あれはそんなことを望んでいる者の目ではない。叶わなくても、諦めず、何度も何度も繰り返す意思を持っているはずなんだ!」
 その生に対する執着が愛しいと思った。
『分からぬのはぬしのほうじゃ・・・・・・それはただ苦しいだけじゃ。そんなものを本当にずっと望んでいられると思うてか?わしと同じ思いをあれ達にさせるわけにはいかぬ。だからこそ、終わりにる。終わる瞬間、あれは安堵するだろう』
 山神は自嘲の笑いをもらし、そう言ったきり口を噤んでしまった。
 何時間待とうともそれ以後、山神は語ることはないとばかりに言葉を発さなかった。
 諦めてその日の夜は帰ることにした嘉吉は、納得できぬまま眠れぬ夜を過ごさなければならなかった。

『また逃げてしまった・・・・・・私は最低の臆病者だわ。山神のためだったら何でもできるといいながら、何もできないじゃないの。明日を逃すとまた次の満月まで待たなければならない。気持ちが急いている。これにはきっと意味がある。もう逃げるわけにはいかないのよ。葛葉もずっと何かを考えていて、出てこようとはしない。まるで自ら望んで閉じ込められた奥から、私を観察しようとしているみたい。早くしなければ・・・・・・』






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★ コメント★
人の気持ちって複雑ですよね。自分の気持ちも考え方一つで毎日ころころ変わるようです。
考えるって大事なことだなぁ〜と思う今日この頃なつぶらです(V.V)
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