花の窟
五日目
『青い顔をしているな・・・・・・こんなに脅えているくせに、なぜその目だけは常に折れを見据える強さをもっているのか?』
嘉吉はゆっくりと震える揚羽の肩に触れた。
大きく揚羽の体が跳ねる。
「怖いのならやめればどうだ?俺はどちらでも構わんが」
「怖くなんかないわ!」
「そう・・・・・・それなら結構だ。始めるぞ」
それが揚羽の強がりであることは、震える手を見ればいかに人の感情に疎い嘉吉といえども気がついた。
けれども、あんまり睨みかえしてくる目がムカツクものだから、強引に引き寄せて口付けた。
試すような口付けに揚羽はカッとなり、嘉吉の頬に手を上げようとしたけれども、それは寸前で嘉吉の腕に止められた。嘉吉はその手を握ったまま、さらに深く口付け、ゆっくりと床に揚羽の体を押し倒していく。
ぎゅっと、祈るようにつぶられた揚羽の両目から涙が頬を伝っていった。
『パシンッ』
前に一度感じたことのある空気の振動と弾けるような音に、嘉吉はゆっくりと揚羽から体を離し、じっとそのつぶられたままの瞳を間近から見下ろした。
ゆっくりと瞳が開く。
色素の薄い澄んだ瞳は、もうすでに揚羽のものではなかった。
「・・・・・・逃げたか」
わけが分からず呆然としたままの葛葉の手をひいて、ゆっくりと起こしてやりながら、おもしろそうに嘉吉が口の端だけで笑う。
その声にやっと我に返った葛葉が、乱れた帯や着物の襟に、自分が今どういう状況におかれているのかを意識すると、襟元を押さえたまま、岩室の隅に身を寄せた。
「・・・・・・どういうことでございましょうか、嘉吉様?」
青ざめた顔でギュッと唇を噛み締めながら、気丈にも葛葉が尋ねた。
「別に、あなたがいつまでも首を縦に振ってくださらぬので、無理強いをしようとしたところ、あなたが起きてしまったというわけだよ」
葛葉の問いに、つまらなそうに嘉吉が答える。
「それが真実とは思えませぬ・・・・・・何をお隠しですか、嘉吉様?」
着物をただし、岩室の隅から嘉吉の数歩前に歩み寄り座を正すと、葛葉澄んだ目で嘉吉の顔を覗き込んだ。
「別に・・・・・・何もないと言っている」
「・・・・・・わたくしには時々、記憶がないことがございます。山神様に問うても、答えてはくださりません。ですが、わたくしにも一つだけ分かることがございます。それは・・・・・・鬼がここにいるということでございます」
自分の心臓の位置に両手を重なり合わせ、葛葉が嘉吉に確認するように視線を向けた。
「知らぬな。それはあなたの問題だ。俺には関係ないことであろう?」
「では申し上げまする。掟と約束事を重んじる嘉吉様が、山神様とのお約束を反故にしてまで、わたくしを無理やりなどと、思うはずがないではありませぬか・・・・・・ましてや、山神様がそれをお許しになるとは思えませぬ」
きっぱりとゆるぎない目で葛葉が言う。
嘉吉はフイッとそこから視線を逸らし、口を開いた。
「分かった。言葉を変えよう。俺からは何も言えぬな。知りたければ自身に問え。あなたが気づいてくれなければ、俺は毎晩この調子で逃げられ続けるのだろうな」
くっくっと、立てた膝に顎を乗せて、まるで逃げられたことが楽しくてたまらないとでもいうかのように、嘉吉はおかしそうに笑っている。
「鬼と取引をなさったのですか?」
嘉吉のその尋常ではない様子に、葛葉の表情が厳しくなった。
「そうではない。少なくとも俺が会うたのは、鬼ではかなったぞ」
そう言ってまた笑いだした嘉吉に、葛葉はさらに問いただしたかった言葉を飲み込んだ。
『わたくしの中には何かがいるはず。ここでその何かがざわめいて・・・・・・泣いている。鬼でなければ、なぜわたくしの心を食らおうとするのであろうか?鬼でないと言われるが、それならなぜわたくしがこうまで恐れることがある?これは何?』
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★ コメント★
月下をお届けするはずが、やはり花の窟になってしまいました(^−^;)
はは〜。もう少しお待ちくださいね。io様(笑)
待てないよまぐちゃん(TT) -by io-
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