花の窟


四日目
『俺はどうしたいのか?自分自身で何も考えることなどなかったこの役立たずの心が、なぜかざわめく。やはりこの結果に納得がいっていないからなのか?俺は何を望んでいるのだろう?』

 領主の屋形は聖域の山を後ろにそびえ立たせ、その麓にずっしりと腰を降ろしているかまのように見える。
 山の裾いっぱいに広がるその土地は、すべて嘉吉のものである。
 山も庭も、今は紅葉の季節に時を置いているので、あたり一面はそれは見事な紅である。
 嘉吉の部屋は領地がすべて見渡せるよう、屋形の最上階にあり、大きな窓がいくつも領地側の方に向けて開かれている。この部屋に嘉吉が移ったのは、つい十日ほど前のことである。
 まだ慣れぬ部屋の窓に腰をかけ、嘉吉は少し肌寒い空気を感じながら自分の護らなければならない定めにある領地を見下ろした。
 護らなければならないけれども、そこには何の感慨もない。
 ただそう言われて育ってきたから、それを護るだけのこと。
 自分にはそれだけしかできない。
 揚羽のあの迷いのない強い目。
 他人が聞けば、よほど馬鹿馬鹿しいと思うに違いないが、揚羽の目には陰りひとつない。
 自分にはあんなに必死に護りたいことなど何もない。
 それは良いことなのか、悪いことなのか、今の嘉吉にはまだ計りかねるほど難しいことだった。
 嘉吉は誰も見ているはずがないのに、日ごろのクセか周りに気づかれない程度に小さく息を吐き出した。
「嘉吉様。お申し付けどおりのもの、すべて整いましてございます」
 厳かに来人を知らせる笛の音が廊下に響き渡ったあとに、嘉吉の補佐である長老が木戸の向こうから控えめに声をかけた。
「ん・・・・・・すぐ行く」
 昨日、窟から戻ってきてすぐ、花嫁に渡す婚礼の品をそろえるように命じていたのだ。
 それを聞いた長老をはじめ、一族の男たちは皆いちように安堵の息をもらした。

『ようございました。いつになっても花嫁をおつれにならず、どうなることかと・・・・・・』
 涙ぐみながら長老がもらした。
『ここにはまだ連れては来れぬ。婚礼の儀も窟ですることにした』
『なにゆえ、そのような事を?』
『山神との約束だ。従わねば、聖域の花嫁は諦めねばならぬぞ。お前たちがこの事に納得がいかぬのならば、俺は他の女を妻に娶ってもかまわぬが?』
『それはなにませぬ!あの花嫁はご領主に相応しいようにと選りすぐられた血筋の者にござりますぞ。代わりの者などととんでもない!』
『ではやはり・・・・・・従うしかあるまい。婚礼の品をそろえてくれ』
『かしこまりました。早急にご用意いたします!』

 その言葉どおり、婚礼の品はすべて整えられ、山神への供物と共に、運べるようすべてが駕籠に収まっていた。
 駕籠はいくつも連なり、屋形の庭を埋め尽くさんばかりである。
「明日から五日間、俺の留守を頼むぞ、じい」
「ご安心下され。嘉吉様。このじいがしゃしゃりでずとも、この地は山神様の保護があるかぎり、びくともしませぬぞ」
 山神との契約。
 その昔、山を人に荒らされ、嘆き悲しんだ山神が怒り狂い、山の樹木を枯らし、川を塞き止め、上空には荒れ狂う風と雷が舞い、すべてをなぎ倒していった。
 それを治めるために、人は領主と巫女をのぞいて聖域に立ち入らぬと約束し、その代わりに山神はこの地を元通りに戻し守護することを定めた。
 その証として、その時の領主の娘であり巫女であった女が、花嫁として山神の元へと嫁ぎ、生まれた男子が嘉吉の直系だと言い伝えられている。
 そう・・・・・・もともと、窟に預けられる巫女は、領主のではなく山神の花嫁だったのだ。
 いつしか先に花嫁たちが死んで行く悲しみに耐え切れなくなった山神は、領主の花嫁を育てることにしたのだと聞く。
(神が嘆く?山神はいったい何を望んでいるというのだ・・・・・・)

 聖域の中の御神体のある場所は、そこだけ樹木が開かれていて、天を仰ぐことができる。
 すっぽりとそこだけ空間を切り取ったかのように、星空が一面に広がる。
 月の光を吸収しながら、巨大な光暈石が輝いている。
 揚羽はそっと眠っている花々をおこさぬように、足音を忍ばせ御神体である光暈石に近づいた。
『眠れぬのか?』
 光がゆっくりと回りながら、揚羽の傍らに形を成していき、やがていつもの山神の姿をとった。
 何度みてもそれは神々しく、美しい変化である。
 山神の光のような目が、じっと揚羽を見下ろしている。
「今日は側にいてもいい?」
『・・・・・・恐れているのなら、やめるがいい。わしへの気遣いならいらぬことだ』
「そうじゃないわ・・・・・・確かに怖いけれど、これは私のためにすることだもの。ただ、あしたから私は穢れを背負わなければならなくなるから、子を産み落とすまでは山神にずっと触れられなくなるから・・・・・・」
 揚羽はぎゅっと山神の広い胸にしがみつき、吐息をもらした。
『・・・・・・』
 何も聞かずとも、それが自分のためであることを知っている山神は、何も言わずそっと揚羽の細い体を抱きとめている。
「私はずっと側にいるからね」
 巫女が子を産む普通の女性になるためには、捨て去った世俗の穢れを背負わなければならなくなる。
 神は穢れには触れられない。
 触れればたちまち、穢れが体中をめぐり、それを浄化するために光となり空気の中に霧散する。
 再び形を成すには、膨大な時間を必要とするといわれている。
 穢れは子と共に再び巫女の背から下ろされる。
 だから揚羽も葛葉も、明日嘉吉との契りがすめば、少なくとも十ヶ月は山神に触れることができなくなるのだ。
 そのことが揚羽の不安をさらにかきたてる。
 揚羽は山神にしがみつく手に力を込めなおした。

『生まれた時に持っていたはずの穢れが、なぜこんなに怖いのだろう。指の震えが止まらない。私はこんなに臆病だっただろうか?私はこんなに馬鹿な女だったのだろうか・・・・・・』




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★ コメント★
一周年後初の回で緊張しましたf^_^;
緊張したわりにはいつもと一緒ですが(笑)★



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