花の窟


二日目
『心?そんな目に見えぬものをどうしろと言うんだ。自分自身にすらあるかどうか分からぬ愛などという気持ちを、変えられるわけがない。山神は何を考えている?あの女はなぜ掟に背くことができる?俺には分からない。俺にとって唯一従わねばならないのが掟なのだから・・・・・・』

 昨日と同じ道を、重い足取りで上がっていきながら、嘉吉は初めて感じるイライラとする気持ちを抑えられずにいた。
 手に触れる小枝をパキパキと力任せに折っていく。
「キーッ」となく鳥の声がまるで嘉吉のことを責めるかのように響いた。
 生まれた時からすぐれた領主になるために、嘉吉に叩き込まれてきたことは、愛情ではなく掟の重さだけだった。
 無心の愛情を与えてくれるはずの両親も、領主としての体面や自分たちのことしか考えていなかった。
 幼い嘉吉のことを思いやるものは誰一人としていなかった。
 だから嘉吉は幼い頃に、求めることを止めてしまった。
 大人たちのせわしない流れに逆らうことなく、言われたとおりにしてきた。
 父親が死に、母親が後を追い、領主の地位をついだ今でさえ、周りの流れに抗うことができない・・・・・・抗うという行為が存在することさえ忘れているのだから。
 だから葛葉のことを思うと、胸の奥に何ともいえぬ苦くて嫌な思いが込み上げてくるのだ。
 二度目に訪れた窟には山神はおらず、御神体の前に静かに葛葉が座っているだけだった。
「邪魔をする」
 嘉吉は小さく声をかけてから、ゆっくりと葛葉の側に腰を下ろした。
 葛葉嘉吉と向き合ったまま、聞かれたことにだけしか答えず、嘉吉の顔を見ようともしない。
「俺には葛葉殿の気持ちなど理解できないが、俺には葛葉殿が必要なのだ」
「いいえ・・・・・・あなた様はわたくしのことなど少しも必要としてはおられません」
「山神殿の言われた心とやらで必要かというのならば、必要ではないだろう。俺には人を愛するという心が理解できないらしいのでな。生まれてから一度も誰かを愛したことも、欲したこともない。俺は葛葉殿の夫となるには最低の人間かもしれぬが、そこを曲げてお願いする」
「あなた様は・・・・・・まだ気づいておられぬだけでございます。誰の心にも本当に必要なものがあるのです。わたくしはもうそれを見つけてしまっただけのこと。だから・・・・・・あなた様の言葉に頷くことができませぬ。もし、わたくしの心を曲げて、あなた様に嫁いだならば、言霊はすぐにわたくしの命を奪っていくことでしょう」
 静かな、どこまでも静かな葛葉の口調に、嘉吉の中の苦くて嫌な感じのするどす黒い思いが、いっきに膨れ上がってくるのを感じた。
 苛立ちに任せて立ち上がり、威圧するように葛葉を見下ろしながら嘉吉が叫んだ。
「わからぬ!葛葉殿の言うことは俺にはわからぬ1掟よりも重きものなど、この地にはない!神でさえも縛れるものなど俺は他には知らぬ!」
 一瞬声をあらげた嘉吉を、その澄んだ目を大きく見開いて葛葉が見つめ返した。
 そのままゆっくりと首を傾げる。光のような髪がさらりと葛葉の着物の上をすり落ちた。
 瞬間、『パシンッ』と葛葉の周りを取りまいていた澄んだ空気が、意思をもって弾けた。
 嘉吉を見つめていたその瞳が、あきらかに先刻までの穏やかな光とは違う。その目にはまるで憎まれているかのような激しい怒りが込められていた。
「私だつて他のことなど知らないわ!山神のこと以外は何も知らない!掟など私にはどうでもいいことなのよ!私はただ山神の側にいたいだけ。葛葉があなたの妻になろうがどうでもいいわ。むしろ、あの女を早く連れ去ってもらいたいぐらい。だけど、葛葉の宿命に私も縛られる。葛葉のせいで、私を山神から離したら死んでやるわよ!」
 下から嘉吉を睨み、葛葉も負けじと叫んだ。
「・・・・・・葛葉殿?」
 嘉吉は葛葉の言葉に違和感を感じて、呼びかけた。
「葛葉なんて名前で呼ばないで!この体は確かに葛葉のものだけど、私は葛葉じゃないわ!私は揚羽よ!」
「あげ・・・・・・は?」
 突然奇妙なことを言い出したのは、葛葉の気が触れてしまったのではないかと嘉吉は思った。
 告げられた名前を繰り返すように口にしながら、混乱する思考をまとめようとする。
「そう山神がつけてくれたの。綺麗な名前でしょう?私は葛葉よりもずっとずっと山神を愛しているわ。でも、私が葛葉の中にいる限り、山神は決して私を愛してくれない。だから、私は葛葉の子どもが欲しいの。あなたが妻の葛葉が欲しいのと同じよ。私は葛葉から離れられる自分の体が欲しいの。私たち・・・・・・目的は同じだと思わない?」
 突然、突拍子もないことを言い出す葛葉を、いや、本人曰く揚羽を、嘉吉は冷たい目で見つめた。
 苦く嫌などす黒い思いが、ゆっくりと冷えていく。
 嘉吉はこの突然豹変した葛葉の言葉を受け止め、受け入れ、別の人間としてへの対応になっていく自分を感じていた。
「・・・・・・だが、山神から離れればどちらも死ぬと言っている」
 ただ、その矛盾する揚羽の言葉に、まだしっかりとは信じきっていない嘉吉は問いを返した。
 揚羽が不満げに目を細める。
「私の存在を疑っているのね?いいわ、信じてくれなくても。あなたが私を葛葉の狂言だと思っていても、それでも構わないわ。協力さえしてくれればそれでいいわ。いい?ここから離れるのは、葛葉が子どもを産んでからよ。あなたは一年後に花嫁を連れて帰ればいいの。葛葉の山神への執着は、私がいなくなると同時になくなるはずだから」
 すべてどうでもいいと言い切る揚羽の強い言葉に、嘉吉は次第に興味を覚えていく自分を感じていた。
 これが心動くということなのかと、自分を見つめてくる目の前の揚羽の顔を初めて意識にとらえながら思っていた。
「どうして断言できる?」
「簡単なことだわ。私は葛葉の山神に対する禁忌の感情によって存在するからよ」
 禁忌の思い。
 そう言われて嘉吉の頭の中には、葛葉の静かな横顔が浮かんできた。
「・・・・・・巫女だからか?」
「そうよ。巫女が神を愛するなど、恐れ多いことだもの。神はつねに崇めたてまつるもの。そう思って葛葉はこの思いを心の奥底に隠して目を背けてきたのよ。だから葛葉は私の存在を知らないわ。脅えているのよ。自分は巫女として神に一生を捧げる誓いを立てたから、今更人に戻り嫁ぐことなどできない。祈りが大事。山神の側にいて、一生祈っている気なのよ。そんな意気地のない女が自分の片割れかと思うとうんざりするわ。だから、葛葉はあなたにあげる。私は葛葉の恐れごと持っていってあげるわ、どう?」
 じっと自分を見つめてくるきつい眼差しから視線を逸らさず、嘉吉は喉の奥から微かに笑いをもらした。
 その笑い声はだんだんと大きくなり、岩室に響いてからまるで岩に吸い込まれるようにピタリと消えた。
「おもしろい・・・・・・気に入ったぞ」
 嘉吉は無意識にその無表情だった顔に、笑みを刻んでいた。
 嘉吉は自分が生まれて初めて声をあげて笑ったということに、その時は気づかなかった。

『なんでもするわ。何でもできる。あなたの側にずっといられるなら、あなたをまた一人にするぐらいなら、私は何でもできる。あなたを残して去っていった罪深い今までの巫女たちのようにはならない。だって、それが私の存在する意味。私はあなたのためにここにいるのよ』

 

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★ コメント★
寒くなってきましたね〜(*^−^*)
すごく嬉しいわ〜。暑さにはかなりやられた夏でしたから。創作も進むかも?(笑)


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