花の窟


誰もわけいることのできない、深い森と霧に覆われた山々。
その中でもとりわけ霞たなびく高い山の頂きには聖域となる窟があり、そこには、いずれその地の領主の花嫁となる娘が、清らかに清らかに・・・・・・ただ神に触れ祈るだけの日々の中で、ひっそりと育てられていた。
花嫁自身、それとは知らずに・・・・・・。

一日目
『何もかもどうでもいいことだ・・・・・・つまらないことだ。やらなければならないことだからするだけのこと。俺は何も必要とはしない。ただ自分の役割を果たすだけ』

 パキン・・・・・・パキン・・・・・・。
 小枝を踏む音さえも、この静かな聖域にはこだまする。
 一寸先は深い霧に包まれていて、道を示すために点々と置かれた光暈石の小さな光だけが頼りの中、嘉吉(かきつ)は迷うことなく険しい山道を進んで行った。
 二十歳になり、領主として始めになすべき『婚礼の儀』のために、自分の花嫁を迎えにこの聖域へとこなければならなくなった。
 現領主となった嘉吉は、しなやかな肢体に黒い髪に黒い瞳の神の恩恵を一身に注がれたような美しく精悍な面立ちを持ち、なおかつその才に並ぶものなきと謳われる。
 彼への思慕は、乙女ならば誰もが抱く。
 花嫁が掟どおり、聖域から連れてこられると知って、泣いた乙女の数知れず。
 だが、嘉吉には花嫁が誰になろうとも、そんなことはどうでもいいことだった。彼はいつもと変わらぬ表情でただ頷いた。
 頷いた結果、嘉吉は聖域へと足を踏み入れることになった。
 どうでもいいことに、そこまでしなければならないことを多少疎ましく思いながらも、これが義務であると亡き父親が言っていたことを思い出し、重い腰をあげた。
 初めて訪れる聖域は、まるで自分の領地ではないかのようだ。
 音のない静寂の世界。
 吐き出す白い吐息すら、この世界の色に溶け込んでしまい、自分自身の存在すらも手足の先から消えていってしまいそうな気がする。それは嘉吉にとって心地良かったのか、いつもは虚ろに開かれている黒い瞳が、微かに驚きの色を含んでいた。
 どのくらい歩いただろうか?
 突然、視界が晴れやかになり、花の咲き乱れる野に嘉吉は足を踏み入れた。
 花の中心には巨大な光暈石が輝いている。
『あれが御神体か・・・・・・』
 中央には一目で御神体と分かる大きな光暈石が輝いている。
 その置くには、花たちに彩られた窟の入り口が顔をのぞかせていた。
 嘉吉は野の花を踏み荒らすことに少しのためらいも覚えず、ぞんざいな足取りで窟へと入っていった。
 中は薄暗く、湿った空気が嘉吉の鼻をつく。そこにもやはり光暈石が嘉吉を導くように輝いていた。
 しばらく進むと、奥に光のもれる岩室が見えてきた。嘉吉の体を奇妙な旋律が駆け抜ける。
 いやがおうにも研ぎ澄まされる神経に、聞き心地のいい澄んだ声がその岩室からかすかにもれてくる。
 嘉吉はひどく興味を引かれ無遠慮にも一言の声もかけることなく岩室へと入っていった。
「・・・・・・」
 岩室の中には二人の男女。
 その姿は周りの澄んだ空気に溶け込み、まるで人ではないかのように美しい。
 日の差さぬ窟の中の薄暗いその場所で、彼ら自身が光のように見えた。
 男の姿をしているのが山神であると嘉吉は教えられてきた。男の均整のとれた長身の腰の辺りまでを白い髪が覆い、角度によっては目の色が光そのもののようにも見え、それを彩るように目の縁にはくっきりと青い入墨が入っている。肌は透けるように白く、唇は黒曜石のように鮮やかだ。
 人間の姿をとっていながら、人間とは異質なる者。
 その美しさ、神々しさだけで彼が神だと語っていた。
 だが、嘉吉の花嫁になるはずの巫女は人間であるはずなのだ。
 それなのに、山神と並んでもなんら見劣ることのないあの光のような姿はどうだろうか?
 淡い日の光のような髪は、背を覆うほど長く波打ち、光をみることのなかったその目も、淡く澄んだ色をしている。
 肌は雪のように白く、その四肢は折れそうなほどほっそりとしていて、きつく結ばれた着物の帯びがその細い体にひどくアンバランスに見えるほど、大きな蝶の結びが目立つ。
 嘉吉には彼女が自分と同じ人間とは思えなかった。神と同じく、ひどく異質な感じがするのだ。
 いつまでも声をかけずに無遠慮に見つづける嘉吉を、二人は一斉に振り返った。
「山神殿・・・・・・」
 自分を興味深げに見つめてくる男に向かって、嘉吉がつぶやくと、それを肯定するかのように、男がニヤリと笑うとゆっくりと宙に浮いた。
 そのまま漂いながら観察するように嘉吉の周りをぐるぐると行き来する。
 やがてそれにあきたのか、身軽に地に降り立った。
 じっと光る目が嘉吉の心の中まで覗こうとするかのように探ってくる。
 普通の人間ならば、恐れ慄きひれ伏すであろうその視線を、何の感慨もなく受け止めながら嘉吉は平然とその目を見返した。
 しばらくお互いを探り合ったあと、山神がふっと笑いをもらした。
『ぬしが今度の領主か?』
 涼やかな風のような声が直接嘉吉の頭の中に響いてくる。
 嘉吉は決まりどおり素早く山神の前へと跪いた。
「第三十六代目領主、嘉吉にございます。この度は成人の儀をおえ、婚礼の儀のため花嫁を迎えることとあいなり、光暈石の導きによりこの地に参りました。山神殿のお許しをいただきたい」
 いっきに覚えたとおりの口上をそのまま口にする嘉吉を見ながら、山神はおもしろそうに目を細めた。
『わしの許しなどいらぬ。ぬしが許しを請うのはこの葛葉じゃ』
 山神が自分の後ろに控える嘉吉の花嫁『葛葉』を振り返り、返事を促したが葛葉は静かに首を横に振った。
「そのような事、わたくしは存じませぬ。わたくしは一生涯を山神様のお側で仕えてまいるつもりでございます。どうぞお引取りを・・・・・・」
「それは困る。これは掟だ。葛葉殿、あなたは私の花嫁となるためにこの山神殿の聖域に預けられ、ここで育った。そこを間違えなきよう、今一度考えて欲しい」
 言葉ほど必死さの伝わってこない嘉吉に、当然、葛葉は首を横に振りつづける。
『くっくっ・・・・・・ぬしは青いのぉ。人の心を変えるは掟にあらず。真の心のみじゃ。ぬしが本気で葛葉を必要とするまで、葛葉は首を縦にはふらんぞ。どうじゃ、ぬしの真を見せるために葛葉の気が変わるまで、毎日ここにこればよかろう』
 山神はまたしてもおもしろそうにそう言った。
 それを聞き、嘉吉は自分の成さねばならぬ約束ごとが増えたことに少し大儀そうに吐息をこぼし、それでもコクリと頷いた。

『わたくしはどこにも行きとうはございませぬ。わたくしは山神様の側を離れては生きてはいけませぬ。おぉ・・・・・・それなのに山神様はわたくしの心を変えてみせよとおっしゃった。あの方は神・・・・・・わたくしはただの巫女。それは十分わかっていたこと。けれど、けれど、ああ、心の奥がざわめいてくる。見ないふりをしてきていた、あれ、がわたくしを食らおうとしている。わたくしがわたくしでなくなってしまう・・・・・・鬼が出てくる』
 

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★ コメント★
雪もよいの続編のはずが・・・手違いで、先にこれをお送りします〜。
短い連載ですので、気軽にお付き合いください。十回ぐらいで終わるかなぁ?


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