【空から降る雪vol.2


「お前の髪の色は黒いんだな・・・・・・」
 姉さんが失踪して少し後にポツリとこぼされた嘉人のその言葉を、トゲのようにチクチクとするその言葉を、俺はずっと胸に抱えたまま過ごしてきた。
 嘉人の小さな落胆の言葉を聞くたびに、姉さんと少しでも違うと感じることは小さなクセ一つにしても気をつけて隠してきた。
 姉さんと同じになるように。
 嘉人がその言葉を忘れた頃に、俺は髪を茶色に染めた。
 姉さんの髪の色が少し明るかったのと同じように。
 そんなこと嘉人は気にもしていないかもしれない。
 無意識にこぼした言葉で今はもう忘れているかもしれない。
 けれど俺には必要なことだったんだ。
 身代わりは嫌だと思いながらも、心のどこかでは同じように愛して欲しいと渇望していた。
 同じように愛してもらうためには、俺に残されたことは姉さんに擬態することだった。
 けれど昨日の嘉人の問いで唐突に気が付かされた。
 自分のしてきたことの無意味さを・・・・・・そして自分がどれだけ嘉人に負担をかけてきていたのかも。
『いつまでもこんな馬鹿なこともしていられないな』と嘉人は言った。
 嘉人はもうとっくに姉さんのことは見切りをつけていたのだ。
 忘れられずに姉さんの影に縛られていたのは俺の方。
 七年もずっと忘れずに自分を捨てた妻を思い続けているだなんて、俺はどうしてそんなことを思っていたのだろうか?
 嘉人の『雪』と俺を呼ぶときの優しい眼差しが錯覚を起こさせた。
 嘉人はとっくに姉さんを切り捨ててしまえるほどいつの間にか吹っ切っていたんだ。
 姉さんが必要でないのならば、その身代わりである俺ももう嘉人には必要はないんだということに。
消えてなくしてしまわなければならない。
綺麗さっぱりと・・・・・・跡形もなく。
 
 朝のまだ肌寒い時間に、シャワーが湯気を立ててもうもうと浴室を覆っていく。
 泣き疲れて眠ってしまった後、目を覚ますと嘉人は仕事にでかけてしまっていた。
 いつもの日課で、鏡の中の自分を無理やり微笑ましてみる。
 最初の頃は辛くて泣いてしまいそうな自分に叱咤するためにやっていたことが、今では毎日の自分に喝を入れる日課になってしまっているみたいだ。
 赤くなっている泣きはらした目がはれぼったく見えて、妙に笑えた。
 鏡の中の自分じゃない自分。
 薄茶の髪、大きなアーモンド型の目、筋の通った少し高めの鼻、弧を描く唇。 
 その唇の口角をゆっくりとあげて小さく微笑んでみる。
 その微笑み方は、大口をあけて馬鹿笑いしていた自分を封じるために覚えた最初の姉さんの仕種だった。
 七年ぶりに大口を開けて鏡の中の馬鹿な自分を笑ってやる。
 擬態を解いていこう。
 まずは嘉人に一番最初に言われたこの髪の色から。
 七年間、ずっと染めつづけた髪は少し傷んでいて水にぬらすとキシキシと音がするような気がする。
 最初の頃は美容院で染めてもらっていたその髪も、嘉人がそれを嫌がるから自分で染めるようになった。今では手馴れたものである。
「俺って意外に器用だよな・・・・・・髪染めるのなんか昔じゃ自分でするなんて考えられなかったもんなぁ。ま、そのおかげでこんな朝早くから染め戻しができるってわけだけどさ〜」
 シンと静まり返った浴室で、なんだか気まずい気分になってきた俺は、誰に聞かせるでもなくポツリと独り言を言って誤魔化したりしてみる。
 話相手がほとんどいなかったこの七年間で、かなり根暗になりつつあるのか?などと考えてみたり。
 七年の間の擬態は、知らず知らずのうちに自分に同化していたらしい。
 黒く戻っていく髪を見て、俺は奇妙な違和感を鏡の中の自分に感じた。
「なんか・・・・・・ダサくねぇーか、俺?」
 髪を染めて、さっぱりと洗い流した自分の姿は、生真面目そうな妙にボンボンそうな青年になっていた。
 本来なら、大学を卒業した時点で働きに出て、社会にもまれて男として自信をつけていっているはずの時期に、七年間学校以外の社会から隔離されて生きてきた俺は、自分自身では気づかない間に、蝶よ花よと姉さんの替わりに大事に箱入り息子にされていたせいで、品のよさそうな世間知らずのお坊ちゃまになっている。
苦のない生活のせいでぼんやりした人間になってしまっていたみたいだ。
「そうだよな・・・・・・嘉人にああ言われるまで、俺、嘉人の気持ちなんて考えたこともなかったもんな。一生変わらない人の心なんてあるわけないのに、自分の中の時間が七年前から止まってたからって、嘉人も一緒だなんてどうしてそんなこと考えていたんだろう?嘉人はちゃんと外の世界で生きていたんだ。新しいものに触れて、新しいものに出会って。ずっとこの家に閉じこもって、ここがすべてだった俺とは違う、嘉人の時間はちゃんと流れていたんだ、七年分・・・・・・馬鹿みたいじゃねーか?何、世間知らずのお坊ちゃまになっちまってんだよ、俺はっ!」
 まだ濡れたままの髪をガシガシと掻き毟る。
 あまりの自分の馬鹿っぷりに憤りすら感じる。
 嘉人はずっと俺との茶番に付き合ってくれてたんだ。
 俺はずっと嘉人を癒しているつもりでいたのに、約束どおりずっと一生側にいて、姉さんの替わりに嘉人のものでいようって思っていたのに、けれどそれは嘉人が考えてくれた俺への慰めだったんだ。
 同じように姉さんに捨てられたことを俺に気づかせないように。
 束縛も独占欲も優しさも、何もかも、嘉人の俺に対する同情だったんだってことに俺はずっと気がつきもしなかった。
「そうさっ!七年もずっと姉さんの影にしばられてきたのは、嘉人じゃなくて、俺自身じゃねーのか!?ばっかみてぇ!」
 バシッと八つ当たり気味にドアを蹴り開け、ベッドへとダイブした。
 これから俺はどうしたらいいんだろう?
 姉さんの替わりではなく、俺自身に戻った俺はいったいどうすればいいんだろうか?
 昇り始めた太陽から身を隠すように、毛布に包まって何もかもを放棄したまま、俺は蹲っていた。
 それでも時間は過ぎていく。
 嘘の答えを嘉人に告げた俺のするべきことは一つしかない。
 そしてそのことを俺は嘉人に言わなければならない。
 嘉人が新しい花嫁を連れてくる前に、俺の気持ちもこれからのことに対する不安も何もかもを隠して、果たして俺は嘉人に言えるのだろうか?
 ちゃんと笑って言えるだろうか?ここを出ていくことを・・・・・・。

 

 

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***作者コメント***
こんにちは、円屋まぐです。なんだかだんだん主人公が勝手に根暗になっていってしまって、心配な今日この頃です( ̄▽ ̄;)一人ごととかヤバイよね〜(笑)
*1/13up
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