【空から降る雪vol.1


「姉さんがいなくなった?嘘だろ?」
 大学から帰るなり、雪哉は姉の雪乃の夫であり、今現在雪哉の保護者代わりでもある笹川嘉人に書斎に呼び出され、雪乃の置手紙を見せられた。
 窓際に腰掛ける嘉人の表情は、こちら側に立つ雪哉の方からは逆光になって読み取ることはできない。
「・・・・・・嘘でも冗談でもないようだ。雪乃は昔の恋人とよりを戻したらしいぞ。それでお前も俺のことももういらないとさ」
両親が交通事故で亡くなり、たった二人の姉弟に身寄りはなく、姉が苦労して弟を育てたなんて話は、本人たちにはとても辛く大変なことであっても、世間ではそれほど珍しい話でもない。
 その姉が、会社の取引先の社長で、しかも一般人には想像もつかないようないろんな事業を成功させている笹川グループの跡取息子である笹川嘉人と恋に落ちて結婚したのがちょうど一年前の今ぐらいの季節。
 世間ではシンデレラガールなんて言われてもてはやされたとしても、それもちょっとドラマのような素敵な話っていうだけで、それほど珍しい話でもないかもしれない。
 けれどここから先はちょっと違うと自分でも思う。
 恋に落ちたはずの姉が、実は弟を養うために仕方なくその社長のプロポーズを受けていたこと。
 そして長年弟には内緒でつきあってきた本当の恋人と結婚一年目で再会して、どうにも我慢ができなくなって、破滅を承知で手に手をとって駆け落ちしていってしまったこと。
 そして姉のダンナ、つまり俺の義理の兄に、
「雪哉、お前に選ばせてやろう。雪乃を捜索させて莫大な慰謝料を払わせるか、お前が雪乃の代わりに一生俺の側にいてその代償を支払うか、どっちをとる?」
 なんて平然とタバコをおいしそうに吸いながら言われるなんてことは、そうそう世間様でないに違いない・・・・・・。
「はぁ?」
 俺は鳩が豆鉄砲食らったような顔をして嘉人のことを穴があくほど見つめたまま、返事もできなかったのはいたしかたのないことだと思うんだけど・・・・・・。


 あれから何年たったかなぁ〜。
 なんて懐かしいことを考えていた。
 嘉人は姉の失踪を隠そうとはしなかった。
忙しい嘉人に妻が嫌気をさして家出をしたっていうのは、不名誉なことだけど、笹川グループの公然としたスキャンダルとなっている。
 むしろせいせいしたといいたげな顔で、いつものポーカーフェイスでタバコをふかしながら、ちょっと片眉なんかをあげて世間の皮肉をやり過ごしている。
 そんな嘉人の態度に嘉人の父母の方が怒りを隠せないようだ。
 二人とも少し変わった人たちで、親戚中では姉は身分違いのくせにずうずうしくも結婚したうえに、笹川の家に泥を塗ったと口さがなく騒ぎ立てるけれども、嘉人の父母はそんな姉を反対に不憫だったと泣いてくれる人たちで、嘉人が姉に仕事の忙しさにかまけてちゃんと心を傾けなかったからだと、もう何年もたっているのに今でもお茶の席へわざわざ嘉人を呼び止め小言を言うぐらい、姉のことを可愛がってくれていた。
 早くに両親に交通事故で死なれた俺にとって、二人は本当の親のように接してくれて、姉がいなくなって何年もたった今でも、俺は咎められることもなくいまだ笹川の家にやっかいになっている。
 嘉人が本当のことを言わないから、俺も黙っている。
 姉が元恋人と駆け落ちしたこと。
 嘉人にはなんの咎もないことを、俺は知っていて卑怯にも黙っている。
 黙っているかわりに、俺は嘉人との契約を甘んじて受け入れることにしたのだ。
 姉のことは探さない。そっとしておくこと。
 その代わりに自分が姉の代わりに嘉人の側に一生ずっといること。
 具体的に何をするかっていうと、気分屋の嘉人の我儘に決して口答えせずに、その要求をすべて飲み込むこと。
 そして屋敷からは嘉人と一緒じゃない限り、けして出ないこと。
 けれどそれはちっとも苦ではなかった。
 嘉人は決して無理難題を俺に押し付けようとはしてこない。
 ただ、俺が他の人と接するのをひどく嫌った。
 姉のようにいつ俺が誰かと恋に落ちて、行方を眩ましてしまうのか心配でしかたがないみたいで、俺の好みとかをよく知っているみたいで、タイプの女の子と話していたりなんかすると必ず命令口調で仕事を言いつけてきては邪魔をする。
 嘉人は二人きりになると俺のことを「雪」と呼ぶ。
「雪哉」の「雪」ではなくて、「雪乃」の「雪」。
嘉人はひどく優しく「雪」と呼んで俺を愛しそうに抱きしめる。
 どれだけ姉を深く愛していたのか、せつないほど身にしみるほどに、大事に大事に俺を姉の替わりに逃がすまいと懐深くに抱きしめる。
最初は申し訳なさと戸惑いでいっぱいだったその恋人のような抱擁が、唯一の難題だったのだけれど、近頃ではそれが嬉しいような気さえするから、どんどん自分の気持ちがわからなくなってきてしまった。

「とうとう俺の頭もおかしくなってきちまったかなぁ〜」
「電気もつけないでどうした?」
 今朝嘉人に今日は帰りが早いので待っているように言われて、嘉人の部屋でタバコをふかしながら、グルグルと椅子を子供のように回して待っているといつの間にか日が暮れていたらしく、突然部屋の明かりがつけられて、嘉人の声が響いた。
「あ、おかえり〜」
 呑気に俺が返事を返すと、小さく笑みをもらしながら、嘉人が目だけで俺の行動を促す。
 俺は素早く立ち上がって、まるで貞淑な妻よろしく、おもむろに着ているスーツを脱ぐ嘉人の手伝いをするのも俺の仕事。
 皺にならないようにキチンとクローゼットにかけてしまう。
そしていつものコーヒーを入れに部屋に備えてある簡易キッチンへと足を向けた。
 仕事の忙しい嘉人は、一ヶ月ほど家を空けることも珍しくない。
 最近はとくに忙しそうで、めったに顔も合わさない。
 今朝久しぶりに顔を合わせて一緒に朝食を取っているときに、今日は帰宅が早いから起きて待っているようにといわれたのだ。
 初めて見たときは迷いそうだと思うぐらい広く感じたこの屋敷も、今では見慣れた我が家であり、かなり寛いでいれる。
 けれど久しぶりの嘉人の部屋は俺を落ち着かない気分にさせた。
どきどきすらする。俺はもうとっくに頭がおかしくなっているらしい。
 姉のダンナで、俺は姉の代わりに側に置いてもらっているにすぎないのに、どうやら俺は嘉人のトラウマになっているらしい心配性や独占欲や愛情を勘違いしすぎちまったらしい。
 嘉人に会えないとせつなくなる。
なんてそんな乙女みたいな考えが最近俺の頭の中を支配する。
「馬っ鹿みてぇ〜」
 嘉人に聞こえないようにそっと声に出してつぶやいてみると、いっそう虚しさが襲ってきた。
「雪?」
 俺に向かって「雪」と呼び、嘉人が優しく手を差し伸べてくる。
 その手を取ると、ぎゅっと毎晩確認の儀式のように嘉人は繰り返し俺を腕の中へと仕舞い込んで、その存在を確認するために抱きしめる。
 いつもは何を考えているのか分からない嘉人の目が、この時ばかりは優しく和むのを見るのが好きだ。
「久しぶりじゃねーの?仕事忙しいのか、今?」
 抱きしめて存在を確認すると満足したのか、
 嘉人はどうやらこういう新婚家庭風っていうのが好きみたいで、それは何年たった今でも変わらない甘ったるさをもっている。
 仕事の鬼のくせに、いつもはポーカーフェイスのくせに、こんな時だけは優しい目をする。
 この顔を姉にもちゃんと見せていたのだろうかとふと思う。
「・・・・・・見せてるに決まってるか〜」
 俺のために姉さんは無理やり嫁いだとはいえ、一年も夫婦をしていたのだから、こんな茶番にもつきあっていたはずなのだ。
 こんな嘉人を知っていてもなお裏切り騙して捨てて行こうとするなんて、女はなんて残酷なんだろう。
「何さっきから独り言をぶつぶつ言っているんだ、雪?」
「何でもねー」
「何でもなくはないだろうが?仕事が忙しくて構わなかったのを怒っているのか?」
「違げーよ。仕事じゃしかたねーじゃん?俺が怒ったってどうにでもなるもんじゃねーしさ」
「じゃあ、なんだ?」
「だから何でもねーって。それより話って何?俺もう眠いから寝てーんだけど?」
「・・・・・・久しぶりに会ったのに冷たいな、雪は?」
 ちょっとからかうような響きをもたせて、拗ねたようなそぶりで嘉人が言う。
 ほんとこんなことは普段からは想像できない。姉のいなくなった今ではこんな嘉人を知っているのは自分だけかと思うとちょっと嬉しさがじわじわと沸いてくる。
「ムード出してもしょうがねーじゃん。男同士なんだしさ〜」
「今のお前は「雪」なんだからな、俺の妻替わりなんだぞ?ムード出してのってもらわないとつまらん」
 勘違いしているから、こんな嘉人の言葉に胸がズキッと痛む。
 嘉人の欲しがっているのは俺じゃない。あくまでも雪乃の面影を雪哉の中に見出しているのだ。
 顔立ちがひどく似ている姉弟。
 こんなに自分の顔を嫌いだと思ったことはなかった。
 自分は身代わりなのだと強く思い知らされる。

「ふん。そんなこと弟に期待するほうが間違ってるだろうが。そんなに妻の替りが欲しけりゃ、新しい嫁さんでももらえば?」
 からかうような嘉人の言葉に、つい憎まれ口をきいてしまったのはいつものことだったはず。
 それに対する嘉人の返事は、クスクス笑いで返されるのがいつものパターン。
 けれど今日は・・・・・・。
「そうだな・・・・・・いつまでもこんな馬鹿なこともしていられないな。雪、知っているか?雪乃が失踪してもう何年経ったか?」
「・・・・・・?数えるのなんかとっくの昔にやめちまったよ。何だよ?何年経ったかなんて何の関係があるんだよ?」
「今年で雪乃を殺せる・・・・・・」
「えっ?」
「行方不明になってから七年が経ったんだよ。失踪宣告届けが出せる」
「・・・・・・失踪宣告って、何?何言ってんの、嘉人?」
「法律上で雪乃を殺せるんだ。そうなったら親戚中が黙ってはいないだろうな・・・・俺は笹川グループの後継者だからな。俺にも当然後継者が必要になってくる。俺には新しい妻が必要になる」
 雪哉の瞳を間近から覗き込みながら、嘉人が淡々と言葉を紡ぐ。
 その半分以上も雪哉の耳には届いてこなかった。何を言われているのか分からない。
分かりたくもなかった。
 突然の宣告。
 雪乃を殺せると言うのならば、それは雪哉をも殺せるということなのだ。
 姉の替わりはもう必要ない。嘉人がそう自分に言っているのだと気づくまでに、雪哉は長い時間を要した。
「雪?」
 ぼんやりと宙を見つめている雪哉に、嘉人が確かめるように声をかけてくる。
 それを視界にとらえようとしてはじめて、雪哉は自分が泣いていることに気づいた。
 ぼやけている視界に嘉人のせつないような表情が映った気がしたのは、自分の都合のいい夢なのだろうか?
 そのまま嘉人の胸にかき抱かれるようにして、雪哉はぼろぼろと泣き出した。

「大丈夫か、雪?」
 どのくらいの時間が経ったのだろうか?
 気が付くともう夜は空けていた。
 いつも、雪哉が目覚める前にはベッドからいなくなってしまうはずの嘉人の姿が、まだ雪哉の側にあった。
 泣きつづけた自分を心配してのことだろうか?何度も大丈夫と言われつづけて、優しい抱きしめられて背中をトントンとあやされていたことが微かに記憶に残っている。
「・・・・・・」
 いい年をした男がこんなに我を失うほど泣くなんて、恥ずかしさのあまり雪哉は声が出せずに黙ったまま頬を嘉人の胸にうめた。
「雪乃の失踪宣告は出さない方がいいか?お前のしたいようにしてやる。お前が雪乃をそのままにというのなら、そのままにしておく。悪かった。お前の大事な姉さんを殺すなんて言って」
 そう言われて初めて、雪哉は嘉人は雪哉の泣いた理由を勘違いしていることに気づいた。
そしていつの間にか姉のことよりも、自分のことを考えている浅ましい自分自身に気づかざるをえなかった。
「違っ・・・・・・」
とっさに否定の言葉を口にしようとしたけれど、言葉は声になることはないまま雪哉は唇を噛んで顔を嘉人から背けた。
雪哉にはとても都合のいい嘉人の解釈。
自分のこの気持ちを嘉人に知られるわけにはいかなかった。
自分が泣いた本当の理由を嘉人に知られてはならない。だから雪哉は重ねて嘘をついた。
「もう大丈夫。一晩泣いたらすっきりした。姉さんのことは待っててもしょうがないって分かってる。いいよ、失踪宣告届だして、嘉人新しい嫁さんもらいなよ。もうそろそろ嘉人も俺も姉さんから自由になってもいいはずだよな」
 自分の気持ちを隠すために、自分のもっとも望んでいない答えを嘉人に押し付けニッコリと笑って見せた。

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**作者コメント**
初めまして、円屋まぐと申します(*^_^*)暗い方向に話がいかないように頑張ってハッピーエンド目指していこうかなっと思ってます(^_^;)まだまだ続きますがどうぞよろしく〜♪
*12/24up

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