【空から降る雪vol.18


 「すごいですね、彼」
 西村の秘書の一人である緒方が、ガラス越しの隣りの部屋で電話をしてる雪哉を見ながら、感嘆のため息をもらした。
 バリバリと仕事をこなす第一秘書である彼女は、いかにもキャリアウーマンという感じで、ピシッとスーツを着こなし、いつもはこんな風に私語を口にすることなどもめったにない。
 眼鏡の奥のキリリとした瞳が、今はなんだか潤んでいるようにすら見える。
「そう?」
 西村はその評価は当然であろうと思っていながら、あえてなんでもないふうに返事をしてみせる。
 緒方はそんな西村の態度に騙されたまま、驚いたように大袈裟に首を横に振ってみせた。
「彼、五ヶ国語がしゃべれるんですが、どれも通訳レベルで、しかも話を聞くとほぼ独学だって言うじゃありませんか!?さすが笹川グループの秘蔵っ子ですわね。社長はどんな手を使って笹川グループから彼を連れてこられたんですか?笹川の御曹司がそれはそれは手中の珠のように雪哉くんを大事にしているって話は有名ですもの。これから親戚づきあいをするからっていう理由だけで、彼を手放すなんて信じられませんわ」
「確かに。連れてきたわけじゃないよ。借りてるだけだからね、いずれ返さないといけない大事な預かり者だ。でも緒方さんがそんなに人を誉めるなんて珍しいね。そんなにすごいのかい、雪哉くんは?」
 西村は緒方の感嘆の態度におもしろそうに、さらに問い掛けてみる。
 興奮したままの緒方はいつもの彼女らしくなく、大きな声で言いの募る。
「ええ、語学力だけじゃなくて、機転が利くって言うのでしょうか?教えたことは砂が水を吸うようにあっさりと吸収していくし、教育のしがいがあるというか・・・・・・預かるだけなんてほんとおしい人材ですわ」
「そうだね。俺もそう思うよ。彼は確かに逸材だ。緒方さんにそこまで言わせるなんて、ほんと連れてきたかいがあったな」
「あら、返すことが決まっている人間にこれだけ傾倒してしまう私の悲しさが社長はお分かりじゃないからそんな気楽なことが言えるんですわ。ほんとに残念です」
 返す返すも惜しくてしかたないというように、緒方はため息をつきながら部屋を後にした。
「社長、この書類ですが、二点ほど目を通していただきたいことがありまして・・・・・・何ですか?」
 社長室へと電話を終えた雪哉が入ってくると、西村はおもしろそうに彼を見ていた。
「いや、サラリーマンが板についてきたなと思って。君から社長と言われるとこそばゆい感じがするよ」
 クスクスと笑い西村に、今まですましていた雪哉の表情が、いつもの雪哉に変わる。
 西村の前でだけ見せる寛いだ雪哉自身の素のままの表情。
 それは嘉人の前ですら見せることはない。
「しょうがないでしょ。俺は雇われサラリーマンですからね、社長。楽しそうに笑ってないで、早く書類に目を通してくださいよ。仕事が詰まってるんだから」
「君は働きものなんだね。意外だな」
「俺も自分で驚いてますよ。働くことが楽しいなんて、きっと他の人間が聞いたら気が狂ってるんじゃないかと思われちまう。七年も引きこもり生活をしてたせいで、外のことは何でも楽しい」
 かつての自分の状況を笑い話にできるまでに雪哉の気持ちは落ち着きはじめていた。
 社会人として働けることでの自身にたいする自信が今の雪哉を支えている。
 嘉人に近づきたい、嘉人をサポートできるようにもっといろいろ学ぶことはたくさんある。
 それを毎日毎日考え努力していくことで、一歩づつ前進しているかのように思えるのだ。
「働きものの雪哉くん。そんなに働きたい君には残念だけど、明日から三日間休みを取ってあるよ。意味はわかる?」
「・・・・・・嘉人の結婚式のため?」
「そう。正解。笹川の結婚式は半端じゃない規模なのは君も知ってるよね。当主の結婚式ともなると三日三晩あげてのお祭り騒ぎだ。私用でここまで盛り上がっていいものかとも思うけどね。昔からの慣習だからしょうがない。で、そろそろ君は心の準備はできてるのかい?」
「・・・・・・分かんねぇ。嘉人に会った瞬間どう思うのかすら分からないんだよ、俺。でも、前よりは大丈夫だと思う・・・・・・あんたのおかげで」
「働くことで自信ができた?」
「自信てほどのものじゃないけど、ちょっとは前進していってるんじゃないかなと思えるようになった。嘉人がどう思うかは別にして。俺の中では進んでる。七年前から止まっていた時間が動き出した感じがするんだ」
「そう、それは良かった」
 雪哉の落ち着いた返事に、西村はニッコリと笑った。
「・・・・・・嘉人に会って、答えが出たら、俺は戻らないといけないのか?」
「いいや、君がいたいだけいたらいいよ。俺は別に困らないから。むしろ君が帰った方が困る。緒方さんがすごく誉めていたよ、君のことを。返すにはおしい人材だってね」
「そう言ってもらえるほどまだ俺そんなに役に立ってねーよ。まだまだだ・・・・・・」
 悔しそうにそうつぶやく雪哉を西村はいとおしげに見つめたままである。
 雪哉を知れば知るほど惹かれていく。
 それは緒方をはじめとして、自分の周りのほとんどの人間が感じていることだ。
 もちろん西村自身もそう思っている。
 雪哉には不思議な魅力がある。
 危ういようでいて、強い、そんなアンバランスな彼の性格が見ているものの目を離せなくさせるのだ。
 恋をしたことのない西村には、そんな自分の中に芽生えかけた感情がなんなのかを自覚することなどできようはずもない。
 けれど、それは突然やってくるのだ。

「ちょっ、何するんだよ?」
 夜、帰宅した西村と雪哉はたわいもない話をしていた。
 明日の結婚式のことにはできるだけ触れないように、腫れ物のように扱っていたのは事実だ。
 雪哉がその西村の様子に怒り出したのも、いつもの雪哉らしくなく、気が高ぶっていたからかもしれない。
 そして西村自身もいつもの彼とは違っていたことも理由の一つになるのだろうか?
 西村は目の前で今抱きしめていた相手が顔を真っ赤にして自分のことを睨みつけているのを呆然と見ていた。
 口論のすえ、雪哉を宥めようと伸ばした手を撥ね退けられて、それから何がどうなったのか・・・・・・?
気がついたらキスしてたなんて、馬鹿みたいな理由しか思いつかないほど、脳みそがフリーズしてしまったみたいだ。なぜっ!?と何度聞かれても、その理由は西村自身が教えて欲しいくらいで・・・・・・驚いたまま固まっている雪哉を前にして、いいわけもできずに呆然と見つめあったままゆうに十分は経過していた。
それでも言葉が出てこなくて・・・・・・明日は笹川と万里の結婚式だ。
泣きたい気持ちを我慢している雪哉に対する同情?慰め?
そのどちらもあてはまるようでいて、そのどちらでもないような気もする・・・・・・ようやくしばらくしてから、お互い何にもなかったかのように目を逸らした。
先に口を開いたのは雪哉の方だった。
「俺もう寝る・・・・・・明日早いし」
 真っ赤な顔のまま、唇をトレーナーの腕で隠すようにして、そのままくるりと扉の方へと足を向ける。
 西村は慌ててその背中に声をかけた。
「あ、ああ・・・・・・そうだな。その方がいい。明日から三日三晩お祭り騒ぎ出し、君はずっと働き詰だし、きっと疲れてるはずだ」
「あんたも?あんたも疲れてるから俺に・・・・・・」
 背中を向けたまま、雪哉は焦れたように西村に問い掛ける。
「・・・・・・」
 雪哉が何を言いたいのか分かっていたが、それに答える答えを持っていない西村は、困惑した表情で雪哉の背中を見つめたままだった。
 しばらく雪哉は背を向けたまま身じろぎもしなかったが、いつまでたっても答えの返ってこない西村を待つことに疲れたのか、答えをもらい損なった雪哉は、そのまま部屋へと戻って行った。

 


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★ コメント★
ふふふ、とうとうブログで書いたシーンへと繋がりましたぜ、ひろかわの旦那(笑)
西村にようやく雪哉に恋させることができました。間男として登場したにもかかわらず、完璧なストレートな上に恋をしたことのない彼をどうやって雪哉にぐらりとこさせるのか悩んだのですが、ブログで先に書いちゃったから、すんなりといけたよ(^−^)v





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