【空から降る雪vol.17


 ふらふらと危ない足取りで、廊下を歩く万里に付き添いながら、嘉人は分からぬようにそっと息を吐き出した。
「万里さん、大丈夫ですか?」
 智子の開いた歓迎パーティーで万里は終始ご機嫌なようすで進められるままに、祝いの酒を飲んでいた。
 ごく内輪だけで開かれていたパーティーなので、気が緩んでいたのだろうか、日ごろの嘉人がよく知る万里ならば決してこんな醜態はさらさないであろうと思うほど、万里は酒にのまれているようだ。
 足取りがあまりにもおぼつかない様子の万里を放っておくこともできずに、嘉人は部屋まで万里を送っている。
「全然、大丈夫ですわ。とても気分がいいんですもの。少し飲みすぎたようですけれど・・・・・・こんな私はお嫌いかしら?」
 部屋の前まで送ってきた嘉人が、扉を開けようとするのを邪魔するように、万里はその扉の前に凭れかかり、後ろの嘉人を振り返った。
 勝気な瞳が酒の影響で少し潤んでいるように見える。
 下から甘えるように嘉人を見上げ、そっと綺麗なマニキュアの塗られた指先を嘉人の襟元に伸ばしてくる。
「酒に酔ったぐらいで万里さんを嫌いになるはずがないでしょう。でも今日は飲みすぎのようだ。引越しで疲れているだろうし、早く休んだ方がいい」
 そのまま首に巻きついてこようとした万里の指先を、ため息とともにゆっくりと外すと、嘉人は万里ごと扉を押し開けた。
 押しやられた格好のまま、入り口のところで万里は嘉人の胸にそっと体を預ける。
 逃げられないようにゆっくりとした仕種で嘉人の背中に自分のしなやかな腕を回した。
「・・・・・・眠れませんわ。嬉しくて嬉しくて眠るのがもったいない気がしますもの。笹川に、嘉人さんの妻になることをどれほど私が望んでいたかお分かりかしら?」
「・・・・・・」
 楽しそうに囁く万里に、嘉人はなんと答えていいか分からず、じっと息を潜めている。
「どれほどあなたの妻になることを望んでいることか・・・・あとほんの一月。それで私はあなたの妻になる。誰にも邪魔をさせるつもりはありませんわ。もちろん、あなた自身にもですわ、嘉人さん」
 凭れかからせていた顔をあげて嘉人を心持ち見上げる形で、万里はキツイ眼差しのまま嘉人に宣告する。
 嘉人はゆっくりと万里から体を離すと、おかしそうに小さく笑いをもらした。
「おかしなことを言うね。俺がどうしてあなたを妻に迎えることの邪魔をするって言うんですか?」
 クスクスと笑いをもらす嘉人を、万里の冷たい目がじっと見据える。
 さっきまでの上機嫌さも、酒に酔った様もまったく今の万里からは窺えない。 
「八年前もそうでしたわ。私、あなたの妻になるものだと信じていましたもの。まさかあなたが裏切るなんて思いもしませんでしたわ。確かに正式な婚約は交わしていませんでしたけれど、周りも私も、そしてあなたも・・・・・・私たちが結婚すると思っていましたものね。それがどこの馬の骨ともわからない女を連れてこられて、強引に押し切って結婚なさったけれど、結局たった一年での破局。親族も、傘下企業も、あの時は誰もが嘉人さんの行いを責めましたわ。だから今度は間違えないでくださいませ。あなたは私と結婚することが一番いい形になるんですの。私も二度と引くつもりもありませんし・・・・・・でもね、私ほんの少しの不安材料があるだけで安心できませんの。嘉人さんの言葉だけでは心配でたまりませんの。確証が欲しいのですわ。私が嘉人さんのものになって、嘉人さんが私のものになるという」
 万里はバサリと長い髪を鬱しいげに後ろにかきあげ、嘉人の返事を待つ。
 嘉人も笑うのをやめ、真剣に万里に視線を合わせた。
 万里の言わんとしていることが嘉人には薄々分かってはいたけれど、それをする気は今の自分にはまったくない。
「・・・・・・どういう意味だい?」
 用心深くとぼける嘉人に、今度は万里がフッと笑いを小さくもらす。
 その瞳は「わかっているのでしょう?」と嘉人を嘲っているかのように見えた。
「あなたの子どもが欲しいんですの、私。子どもができてしまえば、あなたは決して私から離れられない。笹川グループの大事な跡取を宿す私をあなたは決して切り捨てれないし、無下にもできませんわ。そうじゃなくて?」
 小首を傾げて問うてくるその様は、会話を聞いていない人が傍からみれば、とても魅力的な可憐なしぐさに見えることだろう。
 けれど、歯に絹きせぬ言い方で自分に望まぬことを要求してくる万里に、嘉人は苛立ちを感じずにはいられなかった。
「そんなことをしなくても、俺はあなたを切り捨てもしないし、無下にもしない。大事な花嫁として扱うつもりですよ?」
 嘉人はそんな気分を隠すことなく幾分棘のある口調で、万里を諌める。
 けれど万里はそんな嘉人の様子に怯むでもなく、さらに口調を強めた。
「だから、あなたの言葉だけでは心配だと申しましたでしょ?人は平気で嘘をつきますわ。八年前、あの女を連れてくるたった一週間前まで、あなたは私に嘘を言い続けた。あの女を庇うために、私の目から隠すために。あの時私にあなたの子どもができていれば、あなたはあの女を妻にすることなどできなかったでしょう?」
 八年前、嘉人が雪乃と出会う少し前まで嘉人は周りに進められるままに、確かに万里と付き合っていた。
 お互い打算的な付き合いでしかなったけれど、周りの目を欺くために、雪乃とのことに両親の許可がでるまでは万里と付き合っているふうを装っていたのは確かだった。
 もちろん万里自身にもそれを気取られることのないように配慮していた。
「・・・・・・万里さん」
「覚えておいてくださいな、嘉人さん。私、裏切られたことを一度として忘れたことはありませんし、これからも忘れることはありませんわ。女は執念深いものですの。その裏切った女をもう一度信じさせようとするならば、あなたはそれ相応の代償を私にくださらなければいけませんわ。そうじゃないと私はあなたを信じられない」
 嘉人の反応が自分に都合のいいように変わったことに、万里はさらに追い討ちをかけ始める。
「八年前は、確かに俺はあなたと別れて雪乃を妻にした。けれど、どちらも気持ちはお互いになかったんじゃなかったか?お互い納得ずくでのゲームのような付き合いだったじゃないか」
「確かにゲームのような付き合いだったかもしれませんけれど、ゲームにも最低限のルールがありますのよ、嘉人さん。それを途中で放棄するのは裏切り以外の何ものでもありませんわ」
 勝ち誇ったように万里が宣言した。
 どちらに非があるのか、それをはっきりさせて嘉人を縛ろうとしているのだ。
 嘉人は胸の内の静かな怒りを綺麗に隠したまま、万里に問う。
「・・・・・・俺にどうしろと?」
 嘉人からのその問いを手に入れた万里は、ゆっくりと勝利を確信したまま微笑んだ。
「簡単なことですわ。私を抱いてくださればいいんです」
 万里は微笑んだままゆっくりと嘉人の手を引いた。
 明かりのつけられていない部屋の中へと嘉人は万里に手を引かれるままに足を踏み入れる。
 まるで何も見えない真っ暗闇に引きずりこまれていくような感覚に嘉人の背筋が粟立った。
 闇に掴まり、逃げられなくなりそうな暗い予感。
 過去の傷に絡めとられ、そのまま闇に沈められていきそうな息もできない感覚が嘉人を襲う。
『雪哉!』
 嘉人は無意識に心の中で愛しい者の名前を呼んだ。
 


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★ コメント★
いや〜、万里ちゃん積極的ですよね〜。確かに子どもできちゃったら、大抵の男は逃げられませんからね(笑)ホモはそこがふりだよな〜(V.V)可哀想にな、雪哉(笑)




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