【空から降る雪vol.13


この手を取れば、自分は嘉人を裏切ることになるのかもしれない。
裏切る気持ちなどさらさらないけれど、嘉人に今の自分の思いが通じない以上、これは裏切り行為として嘉人の目に映るだろう・・・・・・。
 そう考えると背筋がゾッした。
嘉人に同じ思いをまた味合わせてしまうことになるかもしれない。
雪哉は一瞬伸ばしかけた手を宙で止めたまま、西村の手を取ることを躊躇った。
「・・・・・・一生このまま笹川の手の中に閉じ込められて大事に大事に守られてるつもりなのかい、君は?」
 ため息とともにつぶやかれた問いかけは、雪哉の心を深く抉る。
「そんなつもりはねーよ・・・・・・でも・・・・・・」
 口篭もる雪哉に、西村はもう一度深くため息をついた。
 口にするつもりはなかった言葉を、あえて選んで雪哉を説得しなければならないことに心が痛む。
 心細そうに自分を見上げてくる瞳にぶつかって、ほんの少しだけ嘉人の気持ちが理解できるような気がした。
 雪哉は側にいて守ってやりたくなるほど、ぎりぎりの所でつっぱっている。
 大事に大事に腕の中に仕舞い込んで、どんなことからも遠ざけて、自分のことだけを見させていたい。
 そんな気さえしてくる。
 西村はそんなことを考えてしまった自分に、小さく嘲笑し頭を振った。
「とにかく君はここを出た方がいい。君に対する笹川の執着は尋常じゃない。きっとものすごく怒るだろうね。それでも君はここを出た方がいいと俺は思うよ?なぜだか分かるかい?」
 言葉の裏に含みをもつ西村の物言いに、雪哉の瞳が険しくなる。
 この男はどこまで知っているのか?自分の嘉人に対する気持ちも、嘉人の自分に対する気持ちも、何もかも知っていてそう言うのだろうか?
「・・・・・・あんた、知ってるのか?」
 雪哉は用心深く言葉を選んでそう問うた。
 その質問に対して西村は肩を竦めてみせる。
「まだ推測の段階だけどね・・・・・・でも理由はそれだけじゃない。万里のこともある。俺は万里の兄だ。万里の性格は俺が一番良く知っているんだよ、雪哉くん。君がこのままここに留まって、そして笹川が気持ちを変えないとしたら・・・・・・想像するのも怖いな。万里は自分が一番じゃないと気がすまない。君はまさに目の上のタンコブだろう。どんな手を使ってでも君をここから出そうとするよ。容赦なくね。そして君と笹川には今距離が必要だと思う。君の安全と笹川の心の平和のためにも、君はここから出るべきだよ。俺の言ってること分かるよね?」
「・・・・・・俺は嘉人の迷惑になるのか?」
「迷惑というか・・・・・・そうだね、このままだと足手まといになるしかないだろうね、現状では。今の君には何もない。万里と戦える武器を君は何一つ持っていない。笹川は君を守るだろうさ、とことんね。万里と仲たがいしても、だ。それは笹川グループ的には避けたいことだろう。うちはいわば笹川グループの手足のような存在でね、父は残念ながら相当な頑固者で俺意見など聞こうともしないうえに、万里をものすごく可愛がっているんだ。万里をこけにされたら、それこそ仕事に私情を挟んできそうなロクデモない人でね、恥ずかしながら。だから万里を怒らせれば、笹川はうちの協力を得られにくくなる。笹川グループは巨大すぎるがゆえの弱点を持っていて、傘下の企業なしではもはや動けない。もしうちが協力を拒めば、手足をもがれたただのでくの坊になってしまう。そんなこと笹川にとっては、君と比べたらたいしたことじゃないと言い切るだろう?雪哉くんはそれを我慢できるのかい?」
「・・・・・・」

 西村の最後の問いに、雪哉は無言のままでその手を取った。
 
 荷物も必要なものだけを詰め込んだ小さな鞄一つで、本当に身だけで笹川家を雪哉抜け出した。
見送る房江に何度も何度も嘉人への伝言を頼もうと思って口を開きかけたけれど、うまく言葉が出てこない。
結局、嘉人には何も伝言を頼まずに、そのまま無断で家を出る形となってしまった。
車に乗っている間ずっと無言で窓の外を睨みつけていた雪哉に、西村は何も言わず、ただ黙って運転をしてくれていた。沈黙が少しも苦痛ではない。むしろ、それが心地良かった。
嘉人といる時と違って、西村といる時は分かってもらえているという安心感が雪哉を満たす。
出会ってからの時間は西村とははるかに比べ様もないほど、長い間嘉人と共に過ごしてきたはずなのに、どうしてこんなに違うのだろうか?
どうして嘉人は自分のことを理解しようとしてくれないのだろうか?
そして、自分もどうして嘉人のことを理解することができないのかもどかしかった。
その思いは西村を知れば知るほど募っていく。
「着いたよ、雪哉くん」
 考えごとをしていた雪哉に、西村が声をかけた。
 現実へと無理やり引きずり出される気分に雪哉が唸り声だけで返事を返す。
西村に連れられて訪れた、西村邸は笹川家に勝るとも劣らない大きな屋敷だった。
「・・・・・・あんた庶民みたいなのに、まじでお坊ちゃまだったんだな」
 屋敷の前で門が開けられるまでの間、雪哉は遠くに見える屋敷を見つめながら感想を述べた。
 都心のど真ん中のはずなのに、この敷地の広さはいったいなんだろうか?
 嘉人と出会うまでは、まったく無縁だった世界が今はそこかしこに転がっている当たり前の光景になりつつある。
「君もなかなか、その生意気な口調からは想像できないぐらいのお坊ちゃまだと思うよ」
 西村が清ました顔で応酬してくる。
「なぁ、万里さんは?今日はまだいるんだろ?」
「あぁ、大丈夫。ここは俺だけしか住んでない別宅だから。本宅はもう少し車を走らせないと着かないよ。俺は万里とはそりが合わなくてね、早くに独立したんだ」
「確かに。あんたとあの女じゃ水と油みたいだもんなぁ」
「義理の姉になるのに『あの女』ときたか。また嫌われたもんだな、万里も」
 開けっぴろげな雪哉の物言いを気にしたふうもなく、クスクスと笑いをもらしながら西村がおもしろそうに言う。
「万里さんは嫌いだけど、あんたのことは嫌いじゃないよ」
 膨れたようにそう言う雪哉に、西村の笑みが一層深くなる。
「知ってるよ」
「何で?」
「なんとなく・・・・・・なんとなく君の考えてることは分かるよ」
「ふーん・・・・・・」
「おもしろいね。ついこの前会ったばかりなのに。あんまりにも長い間、笹川に君のことを聞かされ続けてきたせいかな?見なくてもどんな子か想像がつくほど、君のことを聞かされたよ」
「嘉人・・・・・・俺のことなんて?なんて言ってた?」
「そうだね・・・・・・具体的なことを聞かされてたわけじゃないんだけど、言葉の端々にね、君のことが出るんだよ・・・・・・どういえばいいのかなぁ・・・・」
 西村が言葉を選びつつ考えている間に、車は門を潜り抜け、遠くに見えた屋敷の前へといつの間にか到着していた。
 車のエンジン音が聞こえたのか、中からメイドが飛び出してくる。
 出迎えにしては嫌にバタバタとした印象に二人で首をかしげて視線を交わすと、車から急いで降りた。
「おかえりなさいませ、武彦様。お客様をお連れとは存じませんで、申し訳ありません。先ほどからお帰りをお待ちしていたものですから」
 メイドは雪哉の存在を訝しく思いながらも、西村の客だろうと丁寧に頭を下げて騒ぎを謝る。
「どうしたんだい?何か急用でも連絡が入った?」
「いえ、お電話が何度もかかってこられまして・・・・・・携帯の方へもおかけしたけれど通じないとのことで」
「・・・・・・笹川?」
「はい。笹川嘉人様から先ほどから何度も。お帰りになったらすぐに連絡するようにとキツくおっしゃられて。今日のスケジュールは午後からキャンセルされているのでお帰りの時間もわからないと言ったのですが、何時でもいいからとにかく連絡が欲しいとおっしゃられて」
「早いな。もう勘付かれたみたいだな。どうする?電話にでるかい?」
 西村の問いに、雪哉はとっさに首を横に振った。
 今はまだ嘉人に話すべき言葉が見当たらない。
 自分の気持ちが通じない以上、嘉人にとってはこれは裏切り行為以外の何ものでもないのだから。
 自分の気持ちが分かってもらえないことが一番辛い。
 こんなにも嘉人のことが好きなのに、こんなにも嘉人の側にいたいのに、それでもあえて離れる自分の決断を、嘉人は理解しようとすらしてくれないのだから。
 今はまだ話すべきではないのだ。
「電話には出ない。まだ出れない・・・・・・嘉人には式の日まで合わねーよ。悪いけどそう伝えてくれねぇ?」
 雪哉の言葉に西村は大きく頷くと、雪哉をメイドに案内するよう言い置きそのまま電話の対応に行ってしまった。
 急に静かになった周りに、寒さがいっそう身にしみるような気がして、雪哉はブルリと体の震えを感じた。
 寒さに思わず窓の外を見ると、深々と雪が降り出している。
「雪か・・・・・・どうりで寒いと思った」
 ふいに嘉人が貸してくれたマフラーの暖かさを思い出す。
 くすぐったいぐらいの暖かさに、甘い気持ちが幸福を持って訪れた時。
 ほんの一瞬の出来事だったけれど、雪哉の脳裏に深く刻み込まれていて、忘れようとしても忘れられない。
 こんな時なのに、ひどく嘉人の顔を見たくなった。
 優しく抱きしめて名前を呼んで欲しかった。
 気持ちが通じ合ったのはほんの短い間だけだったはずなのに、その記憶が雪哉をひどく幸福にする。
 嘉人もこんなふうに自分のことを思ってくれているのだろうか・・・・・・?
 雪哉は窓の外を振り仰ぎ、降ってくる雪を見ながら遠く嘉人を思った。

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★ コメント★
雪が見たい〜暑い〜残暑厳しい〜(T.T)
早く涼しい季節に出会いたいものです。ふぅ。そして今回は嘉人登場ならずでした〜。
小説って難しい(笑)思うように進んでくれないものなのね(^−^;)


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