【空から降る雪vol.11


唇を離した後、二人はお互いを見つめたまま微動だにしなかった。
口を開いて何か言葉を発してしまえば、この時間が壊れてしまうのを恐れるかのように、二人は触れそうな距離を保ったまま、無言で家までの道のりを過ごした。
長い長い時間のようにも、一瞬のようにも思える奇妙な時。
『嘉人様、雪哉様、到着いたしました。お疲れ様でございます』
 運転席からスピーカーを通して運転手の声が流れてきた。
その言葉を運転手が言い終わるか終わらないかのうちに、二人を乗せた車は小さい振動だけを残して、静かに屋敷の前に止まる。
小さく一呼吸置くと嘉人は雪哉を見つめていた目を決心して逸らした。
「嘉人!」
 そのまま開けられたドアから降りて行こうとした嘉人を、雪哉は無意識のうちに引きとめようと名前を叫んだ。
「どうした?」
 嘉人は振り返らないまま雪哉の呼びかけに返事をする。
 振り向かない背中。
 自分が言出だしたこととはいえ、このどうにもならない現実と気持ちとのジレンマにふいに視界がぼやけ涙がこぼれそうになる。
 雪哉は嘉人には見えないところで、クシャリと自分の前髪を握りつぶすようにして腕で顔を覆った。
 声が何かを堪えるように擦れて出てこない。
それでも雪哉は振り向かない嘉人に言葉を返さなければならなかった。
「何でもない、ごめん」
 語尾が擦れて滲む。
 顔を覆ったままだった腕は、目元をぬぐうようにぐいっと乱暴に擦られ、握りつぶされた乱れた前髪で隠される。
「外は寒いぞ、コートを着ろ」
 雪哉の様子がおかしいことぐらい、振り向かなくても十分承知している嘉人は、それでもあえてそのまま車を降りた。
 雪哉を心配する言葉だけが嘉人の心を素直に表現している。
 それはいつも意識して表に出していた言葉だけれど、今は自然と嘉人の口からついて出た言葉だった。
 愛しさが嘉人の胸の中で膨らみ破裂しそうなぐらいに軋んでいる。
 最後だと言った言葉を取り消して、後ろを振り返り、泣きそうになっているだろう雪哉の体を心ごと抱きしめてやりたかった。
 けれどそれは叶わぬことである。諦めの吐息とともに嘉人は大きく息を吐き出した。
 吐息が白く辺りの闇に浮かぶ。
 体を震撼とさせる寒さは、そのまま嘉人の気持ちのようだった。
 ブルリと小さく身震いする。
 いつも薄着の雪哉は、コートを持ったまま着ようとしない。嘉人は心配を我慢しきれずに雪哉の方を振り返った。
 案の定、雪哉はスーツだけで車の側に降りようとしている。
「コートはどうした?」
「あぁ、面倒くさかったから持ってこなかった」
「中も部屋へつくまでは寒いだろう・・・・・・ほら、これを貸してやるからつけとけ」
 嘉人は自分の首に巻かれていたやわらかいマフラーを雪哉の首にそっとかけてやる。
 嘉人のぬくもりごと受け取った雪哉は、そのままマフラーの中に顔をうずめてくすぐったそうにした。
「さんきゅう」
「お前に今風邪を引かれたら困るからな」
 務めて何でもないように返した嘉人の言葉に、雪哉が辛そうに眉ねを顰める。
「・・・・・・そうだな、結婚式まで俺、智子さんの手伝いしなきゃダメだし。いろいろ忙しいんだろ?」
「・・・・・・そうだな、いろいろ忙しくなるだろうな」
 愛しい者とのではない、別の人間と挙げるための式の準備を、愛しく思う本人と話しているというのは変な感じである。嘉人は小さく苦笑した。
 雪哉もそんな嘉人の気持ちが分かったのか、肩を小さく竦める。
 そのままクイッと首を玄関の方へとしゃくってみせた。
「早く入れば?田中さん困ってるじゃん」
 玄関前で立ち止まったまま動かない二人を見送るために、運転手の田中がまだ車の側に控えて二人の様子を伺っていた。雪哉の言葉に苦笑いのままペコリとお辞儀をする。
「ああ、すまなかったな、田中。明日はいつもの時間に頼む。今日はもうゆっくり休んでくれ」
 嘉人の言葉にニッコリと頷くと、運転手の田中は素早く車に乗り込み、車庫へと去って行った。
 それを見送って、二人はゆっくりと玄関へと入る。
 出迎えにきたメイド頭の房江に目線で用のないことを示しながら、嘉人はそのまま部屋へと向かう。
 雪哉がその後を着いてきているのを疑いもせず。
 けれど雪哉は考えるように廊下の真中で立ち止まってしまっていた。
「どうした?」
 廊下に自分の足音しか響いてこないことに疑問をもった嘉人がゆっくりと雪哉の方を振り返る。
「あの、さ、明後日俺出かけてもいいかな?」
 雪哉が嘉人の自分を見ない横顔に、気まずそうに話しかける。
 話すタイミングではないことは重々承知の上だが、今を逃す嘉人を捕まえられる可能性はなきに等しい。
「出かける?どこへ?」
 案の定、不愉快そうに嘉人の目が眇められ、自分を見つめてくる。
 それでもこんな所で躓いている場合じゃないのだと、雪哉は自分を励ましながら続きの言葉を思い切って口にした。
「・・・・・・働こうと思ってんだ・・・・月曜から」
「働く?お前がか?」
 嘉人は思ってもみなかった雪哉の言葉に、一瞬表情を緩める。
「・・・・ん」
 雪哉は素直に頷いた。
「馬鹿を言うな。お前が働く必要がどこにある?小遣いが足りないなら言え。欲しい分だけ補充する」
 雪哉の頷きに被せるように、嘉人が頭ごなしの反対の意思を見せてくる。
「小遣いなんていらねーよ。今までもらったものだってほとんど使ってなんかいねーの知ってるだろ?嘉人と出かけると財布使わせてくれねーもん。金が欲しいんじゃねーよ。もうそろそろ普通に生活したいんだよ。ずっと俺が家の中にいたら、あの人いい顔しねーだろ、きっと?」
 あの人と言う言葉に、ツンと顎を逸らした万里の姿が脳裏に浮かぶ。
「万里さんがどう思おうと関係ない。妻になるからと言って、何もかもに口出しさせるつもりは俺にはない」
「俺が嫌なんだよ。あの人と毎日顔家の中であわせるのってなんか嫌じゃん?」
 雪哉は本当の意思を嘉人に悟られないように、できるだけ本当の気持ちっぽく言葉を選んで言う。
 その言葉に本音も少々混ざっているせいか、嘉人は疑いもせずに眉ねを顰めた。
「・・・・・・万里さんが嫌いか?」
「嫌いって言うか、苦手って言うか。あの人も俺のこと嫌いなの隠そうとしねーじゃん。ある意味気持ちいいぐらい正直だよな。遠まわしにヒソヒソ言われるよかいいけど、面と向かって悪意をぶつけられるのって、正直疲れる。ていうか、本当なら俺はこの家にいるべき人間じゃないってのは当たってるわけだし、少しはあの人の気持ちも考えてあげてもいいんじゃねーかなと」
 雪哉の言い分に、嘉人はあっさりと首を横に振った。
「俺と万里さんはただの結婚をするわけじゃない。お互い納得ずくの政略結婚だ。お互い利益になるとふんだからこそ結婚することを選んだ。そこに気持ちはないんだ、雪哉。万里さんの気持ちを考えるなんてそんなことはお前が心配するこじゃない。だから働く必要もない。顔を合わせるのが嫌だと言うのなら、万里さんには別宅を用意する。それでいいな?」
 話は終わったとばかりに部屋へ向かおうとする嘉人を、雪哉は慌ててコートの背中を掴んで押しとめた。
「よくねーよ。とにかく、俺は働くって決めたんだ!嘉人が嫌がっても働く!万里さんのせいだけじゃない!これは俺自身の問題でもあるんだ!嘉人に今それを分かってもらおうなんて思っちゃいないけど、邪魔するのだけはやめてくれよ!」
 必死で食い下がってくる雪哉に嘉人はカッとなる。
 すがり付いてきた手を無意識のうちに払い落とし、嘉人は冷たく言い放った。
「邪魔だと?お前は俺のものだ!俺が働くなと言えば働く必要はない!」
 自分の手元から決して逃がしはしない!離れさせはしない!たとえ自分たちに望むような未来は訪れなくとも、雪哉は未来永劫自分のモノである。
 嘉人は嵐のような激しさを秘めた胸のうちの思いを留めるかわりに、そう決心していた。
「・・・・・・俺は嘉人の人形じゃねーよ」
 だからこそポツリとつぶやかれた雪哉の言葉は、嘉人に衝撃を与えた。
 無言のまま嘉人はその場を後にした。
 雪哉ともう口を利く必要などないと言うように。
「嘉人!」
 叫んだ雪哉の声は廊下に響く嘉人の早足の音に虚しく被さるだけだった。

 雪哉は悶々とその夜を過ごした。
 無言で去って行った嘉人の、辛そうな怒ったような顔が忘れられない。
 傷つけてしまったのだろうか?
 嘉人は自分のことを人形扱いなどしていないことも、するつもりもないことは雪哉自身が一番よく知っていることだった。
 昨日はついカッとなって心にもないことを言ってしまった。
 どうしても嘉人の側にいる資格を早く手に入れたいと思う焦りが、それを邪魔しようとする嘉人の頭ごなしな否定の言葉についカッとなったのだ。
「遅まきながらの反抗期ってところかねぇ・・・・・・だせぇ」
 雪哉はこの七年間嘉人に逆らったことなどなかった。
 逆らおうという気もなかったし、嘉人の側にずっといられることを疑いもしなかったからだ。
 それが今焦っている。
 急激に動き出した自分の周りの世界の速度の速さについて行けなくて、イライラとする。
 自分の思い通りに動かなくて癇癪を起こす子どものようだと雪哉は自身を嘲笑した。
 白々と夜が明けてくるのをベッドの上に寝転びながら見ていることにも飽きて、そろそろ鳴り出した腹の虫でも治めようかと雪哉は身を起こした。
 今の時間ならまだ出社前の嘉人と会える可能性もあるかもしれない。
 雪哉は昨夜の自分の暴言を謝ることに決めると、素早く顔を洗い身支度を整えた。
 そのまま気が急くままにドアを開けリビングルームへ出て行こうとしたけれど、何度ノブを回しても部屋の扉が開かなくなっている。
「・・・・・・?ドアが壊れたのか?」
 ガチャガチャと何度もドアを開けようと試みるが、一向に開く様子はなかった。
 ガツンと乱暴にドアを蹴ってはみたものの、ビクともしない。
 イライラと焦る思いを抱えたまま、電話口へと飛びつき内線をプッシュする。
 考えるよりも先に嘉人の部屋の番号を雪哉は押していた。
『はい?』
 静かな嘉人の声が電話口の向こうから響いてくる。
 雪哉は知らずにホッとした。
口早にドアが壊れて開かないことを嘉人に説明する。
『・・・・・・それは壊れているわけじゃない。俺が房江に言って鍵を外側からかけさせたんだ、雪哉』
「えっ・・・・・・?何?」
 雪哉は受話器から響いてきた嘉人の言葉の意味を理解できずに、ぼんやりと聞き返した。
『お前を今日からその部屋から出さない。部屋から出る時は俺が屋敷でお前の側に入れる時だけだ。部屋の中にはバスルームも簡易キッチンもそろっていることだし、ちょうどいいだろう。食事は房江が運ぶことになっている。俺が帰ってくるまでおとなしく部屋で待っていることだ』
「な、何でそんなことするんだよ!意味わかんねーよ!」
『お前に俺の気持ちは分からないだろう。俺がお前の気持ちがわからないようにな・・・・・・話すだけ無駄だ』
「何だよ!?何分けわかんねーこと言ってんだよ!嘉人!」
『時間だ。仕事に行く。文句は帰ってから聞くようにする。俺は今日からしばらく出張なんだ。一週間ほどいない。戻ってくるまでお前に勝手な行動をされては困るからな。では行ってくる。おとなしく待っていろ』
「ちょっ!おい、嘉人!ふざけんな!」
 怒鳴る雪哉の声が届く前に、一方的に通話は切られた。
 雪哉は何がなんだか分からずに呆然とする。
 嘉人の言葉を思い返して反芻してみても、その意図がさっぱり見えてこない。
 働くと言った自分を怒ってのことだろうか?
 何度叩いても、蹴ってもビクともしないドア。
 これだけ騒いでもメイド頭の房江が駆け付けて来ないのは、本当に嘉人が自分を閉じ込めるように命令しているからなのだろうか?
雪哉は混乱する頭を抱えたまま、ズルズルと床へと崩れ落ちた。

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★ コメント★
夏なのに寒い話し・・・・・羨ましい、奴らが(笑)
暑いの嫌い〜早く冬にならないかなぁ〜という私の願望の現れかしら(^−^;)


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