ココニイルコト
ー後編―


 泰志と達也が恋人の誓いを立ててから二年が過ぎた。
少年だった達也は、いつの間にか泰志の背をほんの少しだけ追い越し、体つきにも以前のように壊れてしまいそうな細さはどこにもなくなっていた。
 ただ・・・・・・・その心の内を除いては、であるが。
 達也の心はいまだ大人になることを知らないまま、いつ壊れてしまうかもしれない恐怖を抱き、この二年間を過ごしてきた。そんな危うさを持ちながら、それでも壊れずにいられるのは泰志を独占することによって得られる安心感のせいだった。
 達也の不安を感じていた泰志は、どこへ行くにも達也を連れて出歩き、用事のない日は一日中、達也と一緒に過ごすことを常としてきた。
 けれど、いつまでも家に閉じこもったままで暮らしていけるはずもなく、生活のために泰志は外に出かけることが増え始めた。
「どこ行くん、泰志さん?」
「ん、バイトや」
 玄関で靴を履いて出かける用意を始めていた泰志の背中に向かって、達也が呟く。
 それを振り返ることなく泰志が答えた。
「ふーん・・・・・・何時に帰ってくんの?」
「なるべく早く帰ってくるようにするけど、遅なっても俺のこと待たんでええからな」
「・・・・・・」
 泰志の確認するような言葉に、達也は頷かないで黙り込んだ。そのまま後ろから無言で泰志の背中を抱きしめる。
「どないしたんや?置いていくんとちゃうで。ちゃんと帰ってくる。いつもそうやろ?ただこの前みたいに寝ないで待っとったりしたらあかん、て言うてるだけや。お前ももう18歳やろが?」
「・・・・・・18歳やったら何であかんの?待っときたいだけやんか」
「大人やっちゅーことや。大人はそんなアホなことはせーへんやろが」
「俺は大人とちゃうよ・・・・・・先生かてそう言うやん」
「子どもも早よ寝なあかん」
 泰志がため息交じりに、背中に張り付いたままの達也を振り返る。それを引き剥がされまいと達也は必死にもがいた。
「嫌や、待っとく。泰志さんの顔を見るまでは俺眠れへんねんもん」
「・・・・・・」
 達也はいつも夜は泰志と肌を合わせてしか眠らない。
 と言っても、二人はいまだキス以上のことは何もない仲なので、本当にただより添って眠るといだけのものなのだが、赤ん坊が母親のぬくもりを欲しがるのと同じように、達也は泰志の温もりを感じながらでしか眠ることができない。
「ほんなら、寝てるふりでもええから、とにかく俺が戻ってくるまではせめてベッドの中におれよ、ええな?」
「ん・・・・・・」
 やっと頷いた達也の手を、ゆうるりと振り解き、そのまま出かけようとした泰志の髪を達也が慌てて掴む。
「何や?」
 その痛みに顔をしかめながら、泰志がもう一度振り返る。
「ごめん・・・・・・何もない。気ぃつけて・・・・・・」
「そんな顔すんな。俺の方が心配になる。俺は大丈夫やから」
 泰志が達也の両頬を掴み、額を軽くコツンと合わせる。
「俺も大丈夫や」
 そう言って達也が泣き出しそうな表情をしたまま、何とか微笑んだ。
 泰志の胸がズキンと痛む。
 もう泰志は何もかも放り出してしまえるほど幼くはないけれど、時々、達也のこんな顔を見ると達也の望むとおりにずっと側にいてやりたくなる。
 それを思い留まれるのは、達也を連れ出してしまった責任と、達也に対しての養う義務があることを思い出すからだ。
 泰志は心持ち顎をうわむけると、ゆっくりと達也の薄い唇にキスをした。
 達也がそれに答えるように、そのまま泰志の体ごと自分の腕の中へとかき抱き、さらに深く口づけてきた。
「・・・・・・んっ・・・・・・達也、離せ・・・・こらっ」
 押さえ込まれた体を何とかもぎ離しながら、泰志が息苦しそうに達也を咎める。
「アホッ!朝っぱらから何すんねん!」
 じっと驚いたように自分を見つめてくる達也の頭を、思いっきり殴り飛ばしながら、泰志が怒鳴った。
 泰志のその態度に達也が不満そうに目を細める。
「泰志さんの方からキスしてきたくせに、何でそんなに怒るん。俺なんかあかんことした?」
「何でって言われてもな・・・・・・俺のはただの朝のあいさつやん。お前の方のは朝っぱらからすることとちゃうやんか」
「朝でも何でも俺はしたいからするんや。怒る泰志さんの方がおかしい。なぁ・・・・・・俺は泰志さんの何なん?」
 昔と変わらない大きな黒い瞳にうつる自分の影を、泰志は戸惑いをもって見つめ返した。

 自分の『何か?』と尋ねられて、泰志は即座に答えることができなかった。
 確かに恋人になると約束したけれど、達也のあの激しい思いが恋だと言うのならば、未だに泰志の中では達也は弟以外の何者でもないような気もする。
 けれど、恋というもの、愛というもの、その気持ちがどんなものかをしっかりと掴んでいない泰志には、達也ほの気持ちが肉親の愛情のみであると言い切るのも難しかった。

 泰志は一日中すっきりとしない気持ちを抱えたままバイトを終え、できるだけ足を速めて人ごみを拭って歩いていた。いつもなら小走りに駅までの道を急ぐのだけれど、G・Wのせいかやけに道が人でごった返していて、とてもじゃないが走って通りぬけることなどできないほど町は賑わっている。
 今朝は結局達也の問いに対して何も言わずに出てきてしまったので、達也のことがひどく気にかかっていて、一秒でも早く家へと戻りたかったのに。
 知らず、泰志の口から大きく息がもれる。
「おっす!」
 威勢のいい声と共に、泰志の背中にバシッと平手の音が響いた。
「痛っ・・・・・・お前なぁ」
 この威勢、この手癖の悪さ。
 後ろにいる人物が春子であると確信を持ったうえで、泰志がわざと怖い表情を作って振り返った。
 案の定、そこには春子がニコニコと笑いながら立っている。
「久しぶり〜会えて良かった。ここで張ってたかいがあったわ。もうバイト終わったの?達也は元気?」
 泰志の怒った様子にビクともしないで、真っ直ぐなサラサラの髪をさらりと流し、大きな目が印象的な可愛い顔を斜めに傾けて、下から泰志の顔を覗き込む。
「お前が何で大阪におるねん」
 怖い表情が意味をなさなさいと悟ると、泰志は呆れたように春子に問うた。
「G・Wだもの。旅行がてら、音信不通の薄情な従兄弟たちの様子を見に来たのよ。感謝してくださらない?」
「音信不通って、人聞きの悪い。ちゃんと叔母さんには連絡いれてるで」
「母さんに入れたって、あたしの所までは届いてこないの。母さん未だにあたしに気を使ってるの。達也のことは一切あたしの耳にはいれないようにしてるみたい・・・・・・ごめんねぇ、あたしが変な意地はっちゃって、達也と婚約解消なんて絶対にしないって二年前に暴れたせいでさ。周りに気を使わせちゃって」
 泰志は苦く笑いながら言い募る春子を見て、ズキリと心が痛んだ。
 達也と春子は親同士が冗談半分で決めたただけの許婚だったけれど、春子は本気で達也のことが好きだった。
 事故の後遺症のせいだと言い、一方的に婚約破棄したに等しい達也を、まだ思いきれずにいる。
 達也が泰志を好きだということも、聡い彼女は気づいている。
 それなのに自分はといえば、いまだに達也の思いに完全に答えてれず、ぐずぐずしたままもう二年も経ってしまった。
 肌を合わせることだけで達也へ100%向き合えるとは思っていないけれど、春子と同じぐらいに達也のことを思えるようになる儀式がそれであると、泰志は心のどこかで漠然とそう感じていた。
「春子は・・・・・・達也がまだ好きなんやろ?俺の側にあいつを置いといてええのん?」
「どうしてそんなこと言うの?」
「達也が俺のこと好きなん知ってるんやろ?気持ち悪ないか?真っ当な道に戻してやろうとかさ・・・・・・」
「・・・・・・もう二年も経つのに、まだ『達也が』って言うんだね。泰志さんは」
 泰志の言葉に、ひどく悲しそうな目で春子がじっと見てくる。
「達也の気持ちはちゃんと知ってるし、気持ち悪いなんて思ったことないよ。だって本当はずつと知ってたのに、婚約解消したくなくて知らないふりしてたんだもん、あたし。親同士が決めた許婚だって言っても、達也は承知してくれたんだからって、ずっと自分に言い聞かせて黙ってた。怖かったよ・・・・・・いつ達也が本当の気持ちに気づいて、あたしのこと捨てようとするのかってずっとビクビクしてた。だから正直言うと、今はちょっとホッとしてるんだぁ。けど・・・・・・けどね、もし泰志さんがこの先いつまでも達也のことを恋愛対象として好きになれないんだったら、あたしが達也のことを返して欲しいって言う権利はずっとなくならないままで、あたしは達也を泰志さんに渡したことをいつか後悔するかもしれないとい考えちゃって・・・・・・すごく苦しくなるわ」
「ごめんな・・・・・・」
「謝って欲しいんだしゃないの。達也のことを好きになってあげて。愛してあげて。幸せにしてあげて。あたしに悪いと思うんだつたら、泰志さんの精一杯で達也を好きになってあげて欲しいの。笑ってる達也をもう一度見たい、あたし」
 泰志の正面から、精一杯の強がりだと分かる笑顔で春子が言った。
 その笑顔がみるみる涙で潤んでくる。
 我慢していたはずの涙がとうとうポロリと一粒こぼれ、春子の頬を伝った。
 泣き顔を隠すように春子は小さな手で顔を覆い俯いた。
「ごめんね、本当は人の気持ちなんて頼んで動くもんじゃないのに・・・・・・泰志さんも精一杯だってこと知ってるんだけど・・・・・・ごめんね」
 小さな肩が嗚咽とともに微かに震える。
 その頼りなげな春子の細い肩を泰志はゆっくりと抱きしめながら、言うべき言葉が見つからず、開いた口からはやっぱり『ごめん』とこぼれた。

 泰志は春子が泣き止むまで、じっと辛抱強く道端で抱きしめ続けた。気がつけば既に終電の時間はとっくに過ぎている。
 とりあえず二人はタクシーを拾えるまで家の方へ向かって歩きだした。
 春子の止まっているホテルはここからかなり離れているらしく、泰志たちの家は駅五つ向こうなだけで、時間はかなりかかるだろうが歩いてかえれなくもない距離である。
 まず心配しているだろう達也に電話をいれるべきなのだが、歩き出した道には間の悪いことに公衆電話は見当たらない。手元の携帯は充電をしそこなったせいで使いものにならないときている。
 頼みの綱の春子の携帯は、ホテルへ忘れてきてしまったらしい。
 なんとも間の悪いことばかりである。
 結局、タクシーも拾えず、辺りは三時間程度の道のりを歩いて帰ってきてしまった。
 途中でいれた電話も不通で、達也には連絡できていない。

「ただいま」
 達也が出かけるはずがないので、眠っているのかもしれないと思った泰志と春子は、できるだけ達也を起こさないように声をひそめて言い、そっと玄関を開けた。
 久しぶりに長く歩いたせいで、泰志の足はじんじんとしているし、春子はヒールのせいで靴擦れになっていた。
「痛たた、運動不足だわ、情けなぁい」
 痛む足がやっとヒールから解放されて、声をひそめたまま春子が笑う。
 泰志は春子に肩を貸してやりながら、リビングへと促した。
 コトリと頭上で音がする。
 音のする方を仰ぎみると、階段の踊り場に立ったまま達也がじっとこっちを見下ろしていた。
「起きとったんか?」
「久しぶりぃ、達也。ごめんね、こんなに夜遅くにお邪魔して」
 恥ずかしそうに舌を出す春子には一瞥もくれず、静かに階段を下りてきた達也は、泰志の真正面にすっと立つ。
「・・・・・・待っとった」
 そう小さく呟き、達也の手がゆっくりと伸びてきて、泰志の腕を痛いぐらい強い力で掴んだ。
 そのまま有無を言わせずに泰志を抱きしめてくる。
「こら、達也!離せや、アホ!」
 春子の視線が気になって、泰志は慌ててて体を離そうちともがいたが、達也の腕はますます強く泰志を抱き込む。
「ええかげんにせぇ!」
 春子が二人から視線を逸らすのと、癇癪を起こした泰志が達也の頭に頭突きをくらわすのとほぼ同時だった。
 じんじんと痛む額がいっそう泰志の怒りを煽り、泰志は達也を睨み胸倉をつかみあげそのまま壁に叩きつけた。
「お前、春子の気持ち考えたことあんのか!?」
 怒りを押し殺した声で、春子に聞こえないように小さく達也の耳元で囁く。
「泰志さんこそ、俺の気持ち考えたことあんの?」
 壁際に押さえ込まれたまま、どこか冷めた目で達也が泰志を見下ろす。泰志の目が怒りのために見開かれた。
「今は俺の話しとちゃうぞ1」
「一緒の話しや。人にそんなに偉そうに説教できるほど、泰志さんは人のこと思ってんのん?俺のこと考えてんのん?」
「そう言う話しは春子の前ですんなっ!」
「春子、春子って、泰志さんは春子が好きなん?」
「お前、何言うてんねんっ!」
 再びガンッと体を壁に打ち付けられ、達也は苦笑をもらす。
「疑いたくもなるやん。こんな時間まで二人でおったくせに、俺の問いに答えられへんと逃げたくせに、帰ってきたらきたで春子春子って・・・・・・ふざけんなや!」
 達也は素早くクルリと態勢を入れ替えると、壁際に泰志の背を押し付けたまま口付けた。
 暴れる泰志を長い手足で器用に押さえつけ、逃がさない。
 あまりに激しい達也の感情に晒され、泰志の体は恐怖のためか、驚愕のためか小さく震えた。
 長い口付けの後、動かなくなった泰志の体を壊れ物を扱うかのようにそっと離した達也は、春子に一度だけ視線を向けると黙ったまま靴を履き、玄関を出て行ってしまった。
 ガタンと閉まる扉の音を聞いても、泰志は顔をあげない。
「泰志さん、追いかけないの?達也出て行っちゃったよ?」
 春子が急かすように泰志の腕をとり揺さぶった。
「ごめん・・・・・・春子、ごめんな・・・・・・」
 泰志の体が春子に揺さぶられるたびに、ズルズルと床へと沈んでいく。
 春子はその言葉をききながら辛そうに眉ねを寄せると、首を横に振った。
「あたしの方こそごめん。あたしが泰志さんに甘えて着いてきたりしなかったら。達也、不安だったのよ。泰志さん連絡もなしに帰ってこないし、やっと帰ってきたと思ったらあたしがいるし、で、混乱したのよ。謝らないで」
「・・・・・達也は俺と一緒におらん方がええのかもしらん」
「何言ってるの、泰志さん!そんな馬鹿なこと言ってる暇があったら達也のことを追いかけてよ!こんなに早くあたしに後悔させる気なの!?」
「早い方がええんねん。春子のためにも、達也のためにも・・・・・・やっぱりこんなんおかしいやん、俺ら普通とちゃうんや。春子と普通の人生送った方が達也のためやないんか?」
「普通じゃないとダメなの?そんなくだらないことで達也を傷つけるの?泰志さんの方があたしの気持ち分かってない!二人が一緒にいるの見るとそりゃあ辛い、けど離れているのを見るのも辛いよ!達也の世界泰志さんだけなんだから!泰志さんがいなきゃ、あの子壊れちゃうんだよ!そんな達也が好きなのはあたしの身勝手なんだから、気にせず早く行って!」
 だんだんと声を荒げて立ち上がった春子が、ダンと床を踏み鳴らし玄関を指差した。
 可愛い顔は涙でぐしゃぐしゃで、見ているこっちの方が辛くなる。
 それでも綺麗に見えるのは、春子が強いからか、それとも強い恋をしているからか。自分はこんなに強くない。
 こんなに弱くてこの先ずっと、春子以上に達也を大事にしていけるのだろうか?
 そんな疑問が泰志の頭の中を過ぎり、思わず視線を伏せた。
「・・・・・・」
「10数える間に泰志さんが行かないんなら、あたしが行くわよ、いい?1・・・・・・2・・・・・・3・・・・・・4・・・・・・5・・・・・・6・・・・・・7・・・・・・8・・・・・・9・・・・・・10、本当に行かないつもりなの?」
 項垂れたままの泰志を玄関口から振り返りながら、春子が縋るように尋ねた。
 力なく泰志が首を振る。
「・・・・・・ごめん、今は行けへん」
「泰志さんの馬鹿っ!」
 春子の大きな目に失望の色が濃く表れ、そのまま達也を追って飛び出して行った。
 泰志は立ち上がれない。手足が鉛のように重く感じられた。
「情けねぇ・・・・・・」
 泰志は膝を抱えて蹲ったまま、唇を強く噛み締めた。

「達也っ!」
 人気のない道路の脇に達也の長身が蹲っていた。
 春子は悲鳴に近い声をあげて、駆けより達也の背を愛しげに抱きしめた。
 達也は春子に構うことなく、溝へと汚物を吐き続ける。春子は懸命に達也の背をさすりながら辺りを見回した。
「達也、あそこ行こう。公園。ベンチで横になった方がいいよ。大丈夫だよ、大丈夫。あたしがずっと側にいるから」
 達也の重い体重を肩に担ぎ上げながら、春子が一生懸命に励ましの言葉をかける。
 半ば引きずるようにして、近くの公園のベンチまで達也を移動させると、春子はハンカチを持って水道へと走った。
 走っていく春子の背をぼんやりと見つめたまま、達也の口が無意識に動く。
「泰・・・・・・志さ・・・・・・ん」
 ハンカチをぬらした春子が転がるようにして戻ってきた。
 起き上がったままぼんやりと宙を眺めている達也に驚き、慌ててベンチへ寝かしつけ、濡れたハンカチで口元をゆっくり拭ってやる。その後、手を握り締めてあげることを忘れないで。
「ダメよ、起きちゃ。気分が悪いんでしょ?じっと寝てれば吐き気も収まってくると思うよ・・・・・・二年前もそうだったじゃない。大丈夫。側にいるから」
 二年前の事故の後、泰志がまだ見つからず、学校を休んで大阪へときていた春子は、病院へ毎日看病に通っていた。
 あの頃の達也はぼんやりしていたかと思うと、突然吐き出し、手を握って側についていてやれば、静かな眠りに一時だけ入っていけた。何も見ないし、何も聞かない。達也の心はいつも遠くを見ていた。
 泰志がただ側にいないというだけで、容易くあの頃の状態に戻ってしまうなんて、自分が側にいてもダメだなんて、なぜ達也は泰志でなければダメなんだろう。
 達也の冷たい手を自分の頬に当てながら、春子がきつく目を閉じた。
泣き出してしまいたかった。わんわんと大声で泣いて、泰志を責めたみたいに達也のことを責めることができていたならば、今こんなに苦しい思いを引きずってなどいなかっただろうか?
一度も言ったことのない気持ち。
今なら言っても許されるだろうか?
「達也・・・・・・・達也が好きだよ。春子は達也が大好きなんだから」
「・・・・・・」
 達也から返事はない。
 もとより達也の意識がここにないことを承知のうえでの告白だったのだから、春子は達也の言葉を待たずに、きつく目を閉じたまま手探りで達也の顔に触れていく。
 目をあけてしまえば、達也が自分を見ていないのがよく分かってしまうのが怖くて、春子は頑なに目をあけようとしない。そのまま達也の薄い形の良い唇の上で手を留めると、ゆっくりと自分の唇を達也の上に降らせた。
 冷たい、ただ触れるだけのキス。
「達也が苦しんでいるのを見るの、あたし辛いよ。どうして春子じゃダメなの?どうして泰志さんだけしか達也の世界には入れないの?ずっと側にいたのは春子も同じじゃない?」
 ベンチに横になったままの達也の側に跪き、その胸に頬を乗せながら春子が囁いた。
 春子にとっての精一杯の告白。
「・・・・・・ごめんな春子。俺は泰志さんやないとあかんねん。なりふり構ってられへんぐらい、変になりそうなぐらい、泰志さんのことでいっぱいやねん。俺はおかしい・・・・・・とうの昔から狂ってたんや。けど狂ってるのなんか認めたなかった。事故でおかしくなってから、俺は初めてホッとできてん。春子が心配するほど苦しくなんかないんや、俺は。ずっと・・・・・・ずっと泰志さんだけ見とったらええ。こんな幸せなことあらへんかった」
 聞いてる人のいないはずの告白に返された答え。
 春子は驚いて声も出ないまま顔を上げると、ゆっくりと達也を見下ろした。
 昔と同じ優しい笑顔が浮かんでいる。
「達也?正気に戻ったの?」
「達也っ!」
 春子が達也に問いかける言葉に重なって、公園の入り口の方から泰志の声が響いてきた。
 達也の名前を呼んだだけで、後は何度も何度も息をつぐ。言いたい言葉を言えないもどかしさのせいか、そのまま走りよってきて達也の前でピタリと立ち止まった。
「泰志さん・・・・・?」
 ゆっくりベンチから体を起こした達也の表情が、優しい微笑みから切ない微笑みに変わる。
 春子は二人の間に蹲ったまま、何があっても口を出さずにいようと決心した心の現れの印に、小さな口を固く引き結んだ。
「二度と・・・・・・二度と会われへんぐらいやったら、俺をくれてやった方がましやなんて偉そうなセリフは取り消しや」
 荒く息をつぎながら、泰志が言葉を吐き捨てる。
 達也の目がその言葉を言われることを覚悟していたかのように、ゆっくりと納得ずくで閉じられていく。
「ええよ・・・・・・俺ももう限界やったから。泰志さん嫌がるやろうから我慢してたけど、ほんまは泰志さんのこと抱きたくてしゃーなかった。泰志さんの側におったら俺、泰志さんのこと独占したくなるねん。誰にもみせんと、誰にも触れさせんと、抱きしめて、離したくなくなるねん。俺はそれでも幸せやったけど、泰志さん苦しいんやろ?俺のこといつまでたっても弟としか思えへんねんもんなぁ・・・・・・しゃーないわ。好きになる気持ちは誰にも強制できへんもん」
 諦めたように呟いた達也の頬がピシャリと叩かれる。
「アホッ!何言うてんねん。俺はお前のせいでおかしなったんやで。お前が毎日毎日・・・・・・おいっ、春子。ちょぉ、お前あっちに行っとけ」
 思い切って言葉を出そうと思った泰志の視界に、目をまん丸にした春子のしゃがみこんだ姿が映り、コホンと一つ咳払いするとシッシッと手で追い払った。
 泰志のその赤くなった顔を見た瞬間、何かピンとくるものを感じた春子は嬉しそうに笑うと、タクシー代を請求して大人しく帰って行った。
『頑張ってね、泰志さん。後で結果報告聞くからね』と、激励も忘れずに。

「俺が毎日毎日何なん?」
 一人わけの分からぬ達也が、泰志を問い詰めるように間を詰めてくる。
「だから、お前が毎日毎日、俺にやな、そのぅ、平気でするからな、俺もおかしくなったみたいで・・・・・・春子とお前が一緒におるって考えたら、俺も嫌んなった。気がついたら玄関飛び出して、お前らのこと探しとった」
「俺が毎日毎日何するって?」
 何となく泰志の言いたい言葉の意味が分かりかけてきた達也は、それでも泰志の口からはっきりと聞きたくて、さらに間を詰めた。
「・・・・・・キスやっ!外人みたいに毎日毎日、朝も昼も夜も関係なくしくさるから、俺までおかしなってもうたやないか!ほんまはちょっと前から公園の外におったんや!やっぱりこんままほっといた方がお前と春子のためにもええかもしれんて、そう思いなおして帰ろうと思ったら、春子がお前にキスすんの見えて、頭カッってなったんじゃ、ボケ!お前は俺のもんやって叫んで飛び出したなった!」
 顔を真っ赤にしたまま、泰志が叫ぶ。
「ほんまに・・・・・?」
 震える指先を泰志の頬にのばしてきながら、達也が答えを求めるように泰志の目をのぞき込む。
「ほんまや。だから最初からやりなおしや。ほら、もう一回二年前のセリフ言えや、達也」
 プイっと照れ隠しのために顔を横に背けながら、泰志が言う。
「・・・・・・俺の『好き』はこういう好きなんや、泰志さんは?」
 軽く泰志の唇にキスしながら、達也が間近から問うてくる。
「俺の好きもこういう『好き』らしいわ」
 達也のキスに答えるように、初めて泰志の方からキスを返した。
 口付けは深くなり、二人の吐息が深く混ざりあう。
 どちらからともなく、キスの合間に笑みがこぼれ出す。
 ついばむようなキスを何度も繰り返しながら、睦言を耳元で囁き、その夜、達也はいつまでも泰志を離さなかった。

 ―君ガココニイルコト、タダソレダケデ僕ハ生キテイケル―



おわり
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★ コメント★
終わりました〜。短い話でしたがいかがでしたか?ホ○な上に兄弟だなんて・・・・・二重苦ですね(笑)
それでも幸せならそれでいいかと思うまぐはすでにお脳が腐ってきております(^−^;)この次にまた短い続編?をお送りしますね〜。
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