−月下美人−Act.5
                 −つぶら


 吐き出す息は白く凍てつき、一年中でもっとも寒く凍える時間が近づいてくる。

「鳥王!」
 そっと風王を毛布にくるむようにして大事そうに抱えて歩いてくる鳥王に、暁が声を張り上げ促した。
 重い足取り。
 腕の中の小さな命を、このまま儀式にかけていいのかどうか鳥王は迷っている。
 この期に及んで、である。
 腕の中の命は、月乃を自分に縛り付けて置くためだけの捨て駒でしかなかったはずなのだ。
 大事なのは自分の血を引くものではない。月乃だけだったはずなのだ。
 自分の命すら鳥王にとっては大事なものではない。
 生きているのは死ぬ理由がなかったから。
 今はただ月乃の側にいるためだけに生きている。
 そのはずだった。
「鳥王、どうした?」
 腕の中に風王を抱えたまま、儀式の場の一歩手前で動かなくなってしまった鳥王に、暁がその背をそっと押し、かがり火の前へと押し出す。
 燃え盛るかがり火は、小さな粗末なテントをぐるりと取り囲むように輝きつづけている。
 儀式の場である聖域の真上にそれはたてられている。
 中には月乃がいるはずである。
 そして風王のための小さなベッドと、守り刀が置いてある。
「月乃は・・・・・・?」
 端に控えていた医師に、鳥王は何事かを考えるかのようにテントの入り口をじっと見つめたまま、その視線を向けることなく尋ねた。
「月乃様は少し興奮状態にあられたため、鎮静剤を少量打たせていただいております。まもなく始まる儀式の銅鑼の音を聞けば、すぐにお目覚めになられるかと存じます」
医師は鳥王の側に跪き畏まりながら、周囲に聞こえない程度の声音で告げた。
「興奮状態とは?記憶の混乱のためか?」
「そのようで・・・・・・跡目様を御産みになられた記憶が削げ落ちているように見受けられます。儀式の話も一向に受け付けるご様子もなく、仕方なく暗示をかけさせていただきました」
「どんな暗示だ?」
「本来ならば女性がもっているはずの母性の本能というものが、月乃様にはまったく見受けられません。『花園』の女たちというのは、本来の子を産み育てるという自然の理の観念を持っていないようですな。あの中でどうやって命が生み出されているのか私ともの観念ではとうてい考え及びもできぬことのようで・・・・・・。『花園』の女たちすべてがそうであるのかは想像の粋をでないのですが、今はっきりしていることは、月乃様の中に潜在意識としてあるのは『王』を愛し護ることだけです。いい代えれば、『王』以外は月乃様にとって関心を向けることがないのです。ですから、未来の『王』を御守せよと暗示をかけさせていただきました。それ以外では拒絶反応が出てしまいますので、残念ながら跡目様のことはご自分のお子にあらず。『王』のお子との認識しか得られませんでした」
「『王』の子・・・・・・すなわちそれは『花園』の王の子ということか・・・・・・俺もその王の身代わりでしかないと言うことか・・・・・・?」
 地の底から這うような響きが絞り出されてきたような、鳥王暗い悲痛な声音に、医師はただ無言で頭を振っただけだった。
 沸々と鳥王の腹の内をこれ以上ないぐらいの屈辱感がせり上がってくる。それはそのままどす黒い得体の知れない物へと変化しながら、とんどん溢れ出してきて、チリチリと鳥王の中を焼け爛らせ、理性を食い破ろうとしている。
 腕の中のこの小さな命を、その存在そのものを月乃は消し去ってしまっているのだ。
 鳥王にとっては初めて感じる同じ血の重さ。
 この小さな体の中には、自分と、そして月乃の血が同じ比重で流れているはずなのだ。
 愛しい者が、愛しい者を否定する。
 愛しいゆえに、これ以上もないぐらい憎しみが増す。
「・・・・・・鳥王?」
 側で話を聞いていた暁が、心配げに声をひそりとかけてくる。
 瞬間、ビクリと体を凍らせ、鳥王は暁の手がかかったままの自分の肩後方をぎこちなく振り返った。
 そのまま身のうちで暴れまわる自分の中のどす黒く汚い思いからゆっくりと目を逸らすように、鳥王は言葉を飲み込んだ。
「大丈夫か?」
 確認するように、暁がもう一度鳥王の肩を小さく叩く。
「・・・・・・自分で自分を御せなくりそうだ」
 鳥王は自嘲の笑みをもらすと、腕の中の小さなぬくもりを壊さないようにそっと抱きかかえなおしながら、心配げに見つめている暁の視線の中、ゆっくりとテントの中へと足を踏み入れて行った。
 粗末なテントの入り口に垂れ下がる布がパサリと遠慮がちに音をたてて外界へと続く入り口を閉じると、奇妙な沈黙が訪れた。
 闇の中、外からもれてくるかがり火の明るさで、うっすらと横たわる月乃の姿が浮かび上がってくる。
 寒さよけのための分厚い毛布に包まれて、幸せそうに眠っている。その美しい顔に鳥王は初めて憎悪を感じた。
「・・・・・・目が覚めたら、やはり俺を『花王』と呼ぶのかお前は?そして風王をも『花王』になるものだと思うのか?」
 眠っている月乃には聞こえないように、鳥王が小さく独りごちた。
 そのまま眠る月乃の傍らの小さなベッドへと、スヤスヤと寝息をたて初めている風王をそっと横たえる。
人肌を離れて、一瞬だけ身じろいだ風王はそのまま分厚い毛布で包んでやるとまた小さく寝息を立て始めた。
その体の横に守り刀を風王の負担にならないように、そっと並べてねかす。
もう一方の守り刀を眠る月乃の横に置き、鳥王はそっと足音を忍ばせてテントの入り口を抜け、表のかがり火の中へと重い足取りを向けた。

 銅鑼がなる。
 儀式の開始を告げる銅鑼。
 この銅鑼の音よりまる一日後まで、儀式は続けられる。
 丸一日何もなければそれでよし。
 たとえ何か合ったとしても、鳥王はただ見ているだけしかできないのである。
 試されるのは子供の強運と、母の強さと父の忍耐である。
 何があってもその場を動くことができない。
 鳥王はテントの前に備えられた自分の座に、ドッシリと腰を据えたまま、前方の闇を睨んでいる。
 気配だけで獣が恐れをなして避けていきそうなぐらいの強い殺気を全身から漲らせて、じっと前方の闇を睨んでいる。
 何者からも、愛すべき者を護るために。


 銅鑼の音が鳴ったのを合図とするかのように、月乃の浅い眠りが途切れ、意識が浮上してくる。
 何かを護れと強く強制された記憶が、月乃の不安をかき毟る。いったい何を護れと言われたのだろうか・・・・・・?
 自分の護らなければならないものは唯一つ。
 絶対にして唯一無二の存在。
 『花王』様。
 その存在以外いったい自分は何を護らなければならないと言うのだろうか?
 その答えはすぐ間近にあるはずなのだ。
 恐れず闇の中、目を凝らせば見えてくるはず。
 月乃は闇に目を慣らすために、何度か小さな瞬きを繰り返した。
 闇の向こう、すぐそこに気配を感じる。
 ゆっくりと体を起こし、隣りに感じる気配の方向を向いた。
 小さなベッドに小さな赤ん坊が眠っている。
 大事そうに分厚い毛布に包まれて、スヤスヤと安らかに眠っている。
『あれだわっ!』
 月乃は自分の護らなければならない存在がその赤ん坊であると瞬時に理解した。
 未来の『花王』となるもの。
 だから護らなければならないとそう言われた。
『あれは未来に王に成る者―お前の命の限り護らなければならない者』
「・・・・・・未来の私の『王』?」
 頭の中に直接響いてくるようなその声は、月乃の意思を捩じ伏せドンドンと支配しようと暴れだす。
 月乃は大きく頭を振って、その支配から逃れようとした。
 自分の中の何かが激しくその支配に対して抵抗しようともがいている。
『―未来の王を護れ』
「・・・・・・や・・・・めて・・・・・・その声を止めてっ!」
『―あれはお前が護るべき者』
「やめて!やめて!消えて!」
『―お前の成すべきことはあれを護ることのみ』
「違うっ!私の成すべきことはそんなことじゃないわっ!」
 月乃は自分の中に響いてくる声を遮るように、悲鳴をあげた。
 そして自分の中に問いかけた。
 あれは護るべき者か否か?
『否!』
 月乃の中で答えは瞬時に弾けた。
 あれが未来の『花王』になるのだとしたら、護るのではなく消さねばならない!
 跡目が作られてしまったのならば、それは王の交代を意味する。
自分の唯一人の王がいなくなってしまう!
「違うっ!私の『王』は唯一人!跡目など必要ない!」
 月乃は視線を赤ん坊から逸らさずに、腕に触れた刀を引き寄せ、スラリと解き放った。
 暗闇の中、月乃の手に握られている刀の刃先が鋭く光る。
それは大きく、少しの躊躇いもなく、スヤスヤと眠る風王の真上に振り下ろされた。



つづく

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***コメント***
★ う〜まぐちゃんと頑張って六月から小説アップ強化月間にしていこうということなのですが、ちょっとつぶらは遅筆のようで、再来週のつぶらの番のアップには、短編を載せていきたいと思います。
月下美人の更新はやはり月一になりそうです(^−^;)すいません〜

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