−雪もよい−
ー芽生えー
ひらり、ひらりと雪が舞い降りてくる。
雪もよいのこんな日は、つい先年まで桂の胸を深く抉り、締め付け、苦しみしか与えることはなかったけれど、今はなんだか心の底がほんわりと暖かくなってくるような気さえする。
ただぼんやりと雪空を眺めていれる。
隆康のもとに嫁いで早や一年が経とうとしている。
屋敷に迎えいれられた桂は、真綿で包むような隆康の愛情に守られて、日がな一日をのんびりと過ごしている。
最初は雅通にそっくりのあの顔も声もつらかったけれど、根気強く、愛情を注いでくれる隆康の真心に触れる度に、しだいに雅通と重ねることに罪悪感すら覚えるようになった。
隆康の思いを言葉にして伝えられる度に桂の心の臓がドキリと爪弾く。
けれどこの気持ちは恋なのだろうか?
雅通に感じた思いと同じものなのだろうか桂には分からなかった。
あまりにも、あまりにも深く、雅通のことを愛し続けてきたために、その気持ちが恋であったのかすらももう分からない。
執着なのかもしれない。
思い出の中の幻は現よりも鮮やかに桂の脳裏に甦る。
しょせん死んだ人間への思いと今生きている人間への思いとの違いなど、くらべようがないものである。
ただ今はまだ雅通への罪悪感からか隆康にあえて優しく接することをこの一年してこなかったから、どう自分の気持ちを表していいのか分からない。
火照る体を桂は雪の冷たさにさらして、じっと目を閉じて考えていた。
「おひい様?またそのように雪にお当たりになって、お風邪を召しまする。障子はお閉めになってくださりませ」
木野が先年の桂の行いを心配して、青くなって飛んできて障子を素早く閉めてしまう。
「あれ、木野、そのようなこと・・・・・・わらわは雪で体の熱を冷やしておるのじゃ。ほうっておいておくれ」
不満げに桂がぼやくのを木野は相手にできませんとばかりに足を止めることなくバタバタと部屋中の障子を閉めていく。
「ほうってなどおれませぬ!先の物の怪に魅入られたことをお忘れか?雪は怪しの者を呼び寄せまする。隆康様ご不在の時は、この木野がおひい様を御守せねば!」
そのまま頑として障子をあけてくれなさそうな木野の様子に、桂はこっそりとため息をつく。
「いっそのこと物の怪にもう一度会えたならば、この気持ちも分かるのかもしれぬのう・・・・・・」
桂はずっと抱えていた思いを木野には聞こえないようにポツリとつぶやきもらした。
「何かおっしゃりました?」
「別に・・・・・・それより隆康様はいつお戻りになる予定じゃ?」
耳ざとく聞き返してくる木野にわざとらしくそっぽを向きながら、桂が突然思い出したように問い返した。
納得していないような顔で、それでも主人の意志に背くことのない忠実な木野は桂の質問に誤魔化されてくれるように問いに答えた。
「もう一刻ほどで戻られましょうが、お出迎えなさるのでしたら、身支度なさりませ」
「・・・・・・よい。隆康様が戻られたら、今日気分がすぐれぬゆえ床に伏せっておるので明日お会いしたいとお伝えしておくれ」
自分の気持ちのあやふやさに、桂はこのまま隆康に会ってもいいのかどうか分からなかった。
「またそのようなお戯れを。奥方様が出迎えられずにどうなされます?木野は夕餉の支度の具合を見てまいりますので、女房をこちらへ呼びつけますからどうぞ身支度なさってくださりませ」
そんな桂の心を知るはずもない木野は呆れ顔で説教をする。
木野にしてみれば、自分の大事なご主人様を隆康は大切に大切にしてくれる人だから印象はかなりいい。
そんな隆康を桂が好きにならないはずはないと信じ込んでいるのだ。
「・・・・・・」
何も言い返すことのできない桂に、木野は桂が何かを言い出す前に素早く身を翻して駆け出していってしまった。
長い廊下をパタパタと木野の足音がせわしなく響いて消えていくのを聞きながら、桂はため息が止まらない。
今は隆康の顔を見たい気分ではなかった。
あの顔を見てしまったら、よけいに自分の気持ちが分からなくなってしまう。
この気持ちは隆康自身への思いなのか、雅通に似た隆康への思いなのか。
「・・・・・・雅通様、わらわはどうすればよいのじゃ?」
物思いにふけったまま、桂はついうとうととしかけた。
気が付くともう空は一面の雪もよいで、閉めたはずの障子がいつの間にか隙間があけられていて、そこから部屋の中へと雪が舞い降りてきている。
ひらり、ひらりと舞い落ちる雪が、次第に風を伴い始めた。
「誰かある。誰か。木野?木野はおらぬか?」
身支度をしろと言われたにも関わらず、寝てしまった自分に呆れて女房たちも部屋に戻ってしまったのか、辺りに人の気配がまったくなかった。
『―桂』
ふいに呼ばれたような気がして、桂は目の前の降る雪の中、目をじっと凝らす。
予感がした。
自分の求めている答えがもうすぐでること。
逸る気持ちを抑えて、そのまま渡りに出ると雪の舞う庭へと桂は降り立った。
風がぴゅうっと桂の髪を撫で付け吹き上げる。
舞い散る雪花で次第に視界が見えにくくなってきた。
『桂―』
もう一度桂は誰かに名前を呼ばれたような気がして、吹雪の中目をじっと凝らす。
雪花の中を桂の方へと向かってくる人影がちらりと見えたかと思ったら、それはすぐに吐息が触れ合うほどの間近まできていて、凍えるような手で桂の頬に触れた。
氷のような指先。
桂は雪もよいの空を見たときから、また雅通が自分の側にやってくるのではないかと、心のどこかで考えていた。
だから驚くこともなく、じっと側に自分を見下ろして立つ幻のような雅通を見上げた。
「・・・・・・雅通様?」
小さな声で名前を呼んでみる。
微笑を深くして、雅通が桂の髪をゆっくりと梳く。愛おしさを込めて。
『わしを呼んだか、桂?』
「・・・・・・呼んだやもしれませぬ」
『なぜわしを呼ぶ?わしと来れぬと言うたはそなた自身ぞ。そなたの思いなくば、わしは姿を見せることさえもうかなわぬ。それほど強い思いでわしに何を望む?』
「・・・・・・気持ちが、自分の気持ちが分からなくて・・・・・・雅通様に今一度お会いすれば答えかでるやもしれぬと・・・・・・」
『・・・・・答えは出たのか?』
「・・・・・・」
雅通の問いに答えられぬ桂に、雅通がそっと手を無言のまま伸ばしかけたその時。
「兄じゃ!」
渡りの向こうから足早に駆けてきながら、隆康が雅通に向かって叫んでいた。
雅通はすっと手を引いて、桂との距離をとる。
足音荒く駆けつけてくる隆康とは正反対に、その動作はひどく静なるものだった。
物の怪・・・・・・。
分かっていたはずなのに、それは生きている隆康を目にしたことで一層の重みを桂につきつけた。
生きていた時の桂への思いだけが具現した存在の雅通。
いつまでもいつまでも、桂がその思いを捨てられない限り、ずっと雅通は物の怪として生きていくのだろうか?
桂が呼ぶ限り、雅通はただ桂のためだけにこうしているのだろうか?
「桂!こっちへ来るんだ!」
側まで走ってくると、隆康は渡りの上から桂へと手を伸ばした。
「隆康様・・・・・・?」
いつになく厳しい声の隆康に、不思議に思って顔を見るとひどくこわばった顔をしている。
「早く!」
『桂?行くのか?』
両側から声をかけられ、桂はその間で両方の顔を何度も見比べた。
似ているようで、似ていない二人。
いつも冷静沈着だった雅通。心優しいけれど激しい一面を持つ隆康。
たぶん雅通が生きていたとしても、こんなふうに隆康との間で揺れる自分を必死の形相で止めてくれることなどかなっただろう。
「兄じゃには渡さぬ!たとえ桂がまだ兄じゃを思っていたとしても、物の怪になってまで桂を兄じゃが望んだとしても、桂は決して渡さぬ!」
「隆康様・・・・・・・わらわは・・・・・・」
桂が言いかける言葉を、まるで聞きたくないというふうに隆康が桂を引き寄せきつく胸の中に閉じ込める。
雪ですっかり冷え切っていた体が、隆康の熱に暖められていくのを桂は感じた。
抱きすくめられ、身動きのできない不自由な体で、桂は瞳だけを雅通へと移した。
じっと距離をあけて桂と隆康の様子を見ている。
その様は悲しげでもあり、嬉しげでもあり、桂の胸をひどく締め付けた。
愛しいゆえに手放したくなくて、愛しいゆえに喜びでもある。
桂が悲しむことがないように、ただ桂が幸せであればいい。
雅通の願いはただそれだけ。
「雅通様・・・・・・桂は、桂は・・・・・・」
『よい・・・・・・そなたを愛するがはわしではない。それは分かっていたこと。口に出さずともよい。そなたがただ幸せであればそれでわしは良い』
「兄じゃ?」
隆康は雅通の言葉に、驚きの眼差しを向けた。
それからゆっくりと腕の中の桂を見下ろした。
涙で滲んだ目で、桂はじっと腕の中から隆康を見つめていた。
桂はようやく自分の気持ちに気づくことかできたのだ。
間違いなく自分が隆康のことを好きだと言うことに。
雅通が生きていたとしても、気持ちは動いてしまったかもしれないと思うほどに。
ぎゅっと隆康の着物を握りしめ、桂が溢れてくる気持ちを飲み込むように何度も何度も吐息を吐き出す。
そんな桂の様子に隆康もようやく気づいた。
雅通が桂を連れ去りにきたのではないことに。
桂が自身を愛していてくれていることに。
間近で互いを見つめあい、桂はにっこりと微笑んだ。
「桂は、隆康様と幸せになりまする。きっとお約束いたします・・・・・・きっと」
隆康に寄り添うようにして、桂はきっぱりと雅通に向かってそう言った。
雪が舞う。
微笑む雅通の姿を隠すように、雪がどんどんと降り落ち、降り積もり、しだいに雅通の姿は雪の中へと消えて行った。
雅通は微笑むだけで、何も言わなかった。
一言の恨み言も言わずに、ただひたすら桂の幸せだけを願って微笑んでいた。
だんだんと雪にかき消されるように消えていく微笑む雅通の姿。
桂と隆康はその場で抱き合ったまま、しばし呆然とその光景を見ていた。
どれぐらい経っただろうか・・・・・・。
抱き合ったまま雪の中、手足の感覚がなくなるほど冷え、足が棒のように軋み出した頃、ふと桂が隆康の方を見上げて言葉を紡ぐ。
「雪もよいのこんな日は、いつも胸しめつけられるようにつろうございました。でも、隆康様の元に嫁いできてからは、いつでも桂の胸のうちは暖かこうござりました。今までそのことを認めるのがどうしてもできませなんだ。雅通様が来てくださらねば、今でも桂は分からないまま、過ごしておりました。きっと」
桂の告白に、隆康は無言で抱きしめる腕をさらにきつくした。
桂も素直にそっとその腕の中で目を閉じる。
安心できる場所。
それがここなのだと、ようやっと自分の気持ちに気づくことができた幸せを桂は噛み締めていた。
★ コメント★
雪もよいの続編でした〜。う〜んちょっと中途半端?かしら?でもこれより先のラストが浮かばなくってさ〜。
二人はこのままラブラブでいいのだよ(笑)
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