【海賊と姫君】
ー出航ー

 澄んだ空気。
 ひんやりとする森の澄んだ気配。
 生い茂る木々の間から光がまるで奇跡のようにいく筋にも降り注いでいる。
 なんの気まぐれでか、森に足を踏み入れてしまったゼロは、すでにそこにいることを後悔していた。
 潮風の匂いをつねに感じて生きてきたゼロにはまったくと言っていいほどの場違いな所。
 塩辛くもない湖の水は、胸締め付けられるほど澄んでいて・・・・・・。
 そこに佇み水で遊ぶ少女の姿は幻のように感じられた。
 触れてはいけないものなのかもしれない。
 けれど触れずにはいられなくて・・・・・・。
 そっと伸ばした手に金色の巻き毛が絡んでくる。
それを無意識に引き寄せ・・・・・・。
「誰っ!?」
「・・・・・・」
 振り返った少女の緑色の瞳に見据えられて、ゼロはかけるべき言葉を持っていない無作法な自分の行いに気づいた。

音に聞こえし海賊
 世にも名高き英雄
 この世のもっとも貴重なる宝石、タイガーアイをその瞳にもつ男
 その名は【ゼロ】

「頭ぁ〜、どこ行くんでさぁ?」
 海賊が海を降り、港に一時期滞在する時は、たいていが酒を飲み、女を侍らして航海の自慢話をする。
 その間に航海に必要な物をすべてそろえて、次の出航に備えるのだ。
 ゼロはそれをすべて一人で管理している。
ここ数日はその業務を置き去りにしたまま、酒を飲むではなく、女を抱くではなく、姿をいつのまにか眩ましてしまうゼロに、仲間が不信に思い声をかけたのだ。
 出かけるところを見つかった気まずさをゼロはその声を無視することでさっさとすり抜けて行ってしまう。
 ここにきて、何を思ったか森に足を踏み入れてしまったあの日から、ゼロは魔物に捕まってしまっているのだ。
 金色の巻き毛と緑の瞳を持つ少女に。
 別に約束しているわけではない。
 ただなんとなく、会いたくて会いたくて行ってしまうのだ。
 こんな気持ちは今までになかった。
 けれどそんな日々は長くは続かなかった。
 彼のいるべき場所と、少女のいるべき場所とは、まったくかけ離れていたからだ。
 ついてきて欲しいという願いは、少女の涙の前で儚い夢へと消え去った。


「聞きまして?あのゼロがとうとう出航なさるそうですわ〜」
「まぁ?とうとう?寂しくなりますわねぇ」
 城中と言わず、町中で囁かれるゼロの噂。それにいちいち反応を示しながら、アシャは目的地への道を尚更急いだ。
 早くしないとゼロが行ってしまうのだ。

「ゼロっ!いるんでしょう!出てきなさーいっ!」
 綺麗なドレスを翻し、流れるような金色の巻き毛を振り乱しながら、とても乙女とは思えぬ男前な走りっぷりで、向こうの方から港近くにたった一軒しかないタブラオ目指して美少女が走ってくる。
「これはこれは姫君。ようこそこんなむさくるしい場所へ」
 わざとらしく丁寧にお辞儀をしてみせる店の亭主には見向きもしないで、アシャは扉を開け放ち中へとズカズカと踏み込んでいった。
 歌姫が歌い、女たちが踊り、男たちは笑い酒を飲む。
 熱気をはらんだタブラオの中が、突然の場違いなアシャの登場で水を打ったように静まり、空気が凍りついた。
 男たちは皆、いっせいにアシャの視線の先、ゼロへと視線をめぐらす。
 威風堂々。
 その男の周りだけ空気が違うのを肌に感じる。
 おどけたようにしてみせるその表情すら、人を威圧する。
 彼の瞳は闇の中でこそ輝くと言われるタイガーアイ。
 紅く光るその瞳に見据えられて、アシャはかけるべき言葉を失った。
 そのままじっと自分を見つめてくるその瞳に何も言えずにただ立ち尽くしている。
 闇のような背まで覆う黒髪を無造作に束ね、薄汚れたハンカチで結んである。
 そのハンカチには見覚えがある。
 あれはアシャがゼロにあげたものなのだ。
 それを目にしてアシャは一瞬、彼の空気に飲まれかけた自分を取り戻した。
 走ってきたため上がる息と、緊張のために震える拳を何度も抑えつけながら、アシャが真正面からゼロを見据える。
 くすりとゼロが小さく笑みを漏らした。
「何しに来たんだ、アシャ姫?」
 回りを固めている男たちを手でさりげなく制止ながら、アシャへと近寄り、くしゃりと髪をかき混ぜる。
 それは彼のよくやる癖の一つで。
 アシャはドキンと跳ねる心臓にビクリと身を竦ませた。
「何しにって文句を言いに来たに決まってるわ!」
「文句?何の?」
 強がり声を張り上げるアシャの様子をおもしろそうに見つめながら、ゼロは目線をアシャへと合わしながら、背を屈めアシャの端正な顔を覗き込んだ。
 そのまま柔らかいアシャの唇の上をゼロの唇が掠る。
 からかうような口付け。
「あ、あたしを置いて行くなんて許さないわっ!」
 顔から火が出るくらい恥ずかしい気持ちを、これが彼のからかいの手口なのだと自身にいいきかせながら懸命に粟立つ気持ちをなだめる。
「ではもう一度聞くが、俺の質問に対する返事は?」
 アシャの懸命なようすに、からかう気が失せたのか、すっと姿勢を正してゼロが問い掛けてくる。
 その質問は、つい昨日ゼロがアシャへと問い、返事をもらったばかりのものだった。
 聞く必要のない問い。
 けれどここまで自分を追ってきてくれたアシャに、もう一度だけ問うて見たかったのだ。
 未練だな・・・・・・とゼロは自分自身を嘲笑せずにはいられなかった。
 こんな自分は知らない。
 今までの人生の中でこんなみっともない真似などしたことがない。
 そんなことをしてまでも、ゼロはアシャを離したくはなかった。
「いきなり卑怯だわ・・・・・・あたしが答えられないのを知っていながらどうしてそんな意地悪を言うの?ダメよ。そんなことできないもの」
 アシャは悔しそうに唇をかみ締めながら、それを隠すように額に腕を擦り付けた。
 細い、今にも折れそうなほど細い震える肩が泣いているかのように見える。
 ゼロはその華奢なアシャの体躯から視線を逸らせて、彼らしからぬ拗ねたような表情を一瞬だけ浮かべた。
 だがそれはアシャが視線を上げる前にすぐに消えうせてしまった。
「だったら連れて行けない。置いていく」
「どうして?どうしてあたしにばっかり求めるのよ?ゼロが・・・・・・ゼロがここから永遠に出航などしなければいいのよ!出航することなんて許さないんだからっ!」
「許さない?それで?どうするんだ?アシャの大事な【お父様】にでも頼むのか?」
 話にならないとばかりに、ゼロがアシャに背を向ける。
 そのまま元いた位置まで戻り、椅子に腰掛けて酒をあおりはじめると、我先にと女たちがゼロの回りに酒壷をもって纏わりつく。
 その見目だけでも女をひきつけてやまないというのに、さらにこの猛者たちの頭であるゼロの腕っ節の強さは世に轟き渡っており、彼の回りはいつも着飾ったとびきりの美女たちで華やいでいた。
 アシャの胸がキリリと嫉妬で焼けそうになる。
当たり前のようにゼロの腕に絡みつくその腕を一本一本叩き落して、それでもまだ足りないと言いたげに、その大きな緑色の瞳で女たちを睨みつける。
「ひゅ〜」
 冷やかしの口笛がタブラオの中から上がり始め、ゼロの様子を皆がうかがっている。
 特定の女などいっさいつくらず、独占欲を丸出しにする女は容赦なく冷たくあしらい、目の前で違う女を抱いたりする男なのだ、ゼロという男は。
 それでもアシャはなりふりかまってなどいられなかった。
 どうせ自分を置いて行ってしまうと言うのならば、どんなにみっともない姿を見せようとも、どんなに冷たくあしらわれようとも、それでも負けるものかと思ってここにきたのだ。
 ゼロと会ったことがバレて、両親には半ば監禁状態で閉じ込められて、それをやっとのことで抜け出してきたのだ。
 こんな女たちに負けるわけにはいかない。
 震える手を、冷たく自分を見下ろしているゼロへと伸ばしながら、アシャはゼロの首に思い切りよく抱きついた。
その暖かな腕の中から見あげたゼロの瞳はなんの感情も表さず、ただじっと見開かれて成り行きを見守っている。
「・・・・・・何とか言ったらどうなの?」
 沈黙に耐えられず、震える唇でアシャが耳元に囁く。
 ゼロはそれでも視線を緩めようとはしない。
冷たいままの瞳で、アシャをじっと見下ろしている。
「邪魔だと言ってもいいのか?」
「・・・・・・邪魔でも何でも離れないんだからっ!」
 ゼロにしがみ付く手をきつくしながら、アシャが強がっていると分かる震えた声で叫ぶ。
タブラオ中の男たちが口笛や床を踏み鳴らす音で二人をはやし立ててくる中、アシャはそれでもゼロから離れようとはしなかった。
「離れたくないならなぜ一緒に来ない?俺はお前の意思を尊重しているつもりだぞ?」
 今日はじめてきく優しい声音を含んだゼロの声と、髪を梳いてくる優しい指先とに、アシャは信じられないものでもみるように慌ててしがみついていたゼロの逞しい胸から顔を上げた。
そこにはアシャが見慣れた優しい瞳がある。獣のように飢えた紅い色ではなく、闇のように暖かな黒い色。
ほっとしたアシャは思わずポロリと涙を零してしまった。
 ふいにゼロはしがみついているアシャの体を抱えると、はやし立てる男たちをねめつけてから、店の二階へと続く階段を上り始めた。
「ゼ、ゼロ?どこに行くの?」
 不安げなアシャの質問には軽いキスで答えながら、ゼロはそのまま二階の寝泊りしている部屋へと入っていく。
 ドサリとベッドへアシャを下ろすと、その隣りに自分もドサリと座り込んだ。
 しばらくじっと絡み合う視線の中で、とうとう堪えきれなくなったアシャが再び泣き出した。
「何で泣くんだ?」
 いつまでも泣き止まないアシャに困ったようにゼロが問いかける。
「ぅう・・・・・・だってあたしの知ってるゼロなんだもん・・・・・・ぅっく」
 嗚咽の合間から、なんとか言葉を紡ぎ出して、アシャが精一杯に答える。
 こんな一生懸命な存在が愛しいわけがない。
初めて見たときから吸い込まれてしまいそうなその緑の瞳。
 アシャといる時だけはいつも飢えている自分の中の凶暴な獣がなりを潜める。
 優しい気持ちに満たされ、優しい言葉をかけてやりたくなる。
 思う存分甘やかして、思う存分その存在を味わっていたい。
「Yesの一言でいいんだ。俺はそれが聞きたい。それ以外は聞きたくないんだ、アシャ」
 その小さな泣きはらした顔をゼロの大きな手のひらが包み込み、ゆっくりと口付けを落としていく。
 緑の瞳が閉じられて、泣きはらした目のふちの赤さに、さらにゼロは軽いキスを落とす。
「・・・・・・Yesとは言えないわ。だってあたし総督の娘なんだもの。あたしがゼロについてったら、お父様に迷惑がかかるもの・・・・・・」
 こんな時でも頑固に決して首を縦に振ろうとしないアシャが愛しい。
 こんなに泣いて、こんなところまで走ってきていながら、それでも決してYesと言わない・・・・言えない彼女のことをゼロは心から愛していた。
 同時に彼女を取り巻く者たちへの嫉妬で焼け付きそうになる。
 父親の方を取るとアシャは言うのだ。
 こんなに自分のことを好きで、こんなに離れたくないと泣くその同じ口で、父親のことを言うのだ。
「・・・・・・お前の父か、俺かどちらかを選べ。今すぐだアシャ」
 ゼロの低い押し殺した声に、アシャは驚きに大きな緑の瞳を開く。
 そのまま首を小さく横にふる。
「どっちも選べないわよ。どっちも大切なんだもの」
「じゃあ、俺にどうしろと言うんだっ!」
 力任せにアシャの細い体躯を抱きしめなから、ゼロが苛立ったように叫んだ。
 その腕の中で、アシャは決心したように、大きく息を吸った。
「海賊なんだもの、あたしのこと攫えばいいじゃない!」
 思ってもみなかったアシャの言葉に、ゼロは思わず抱きしめる腕をといて、腕の中のアシャを見下ろした。
「はぁ?」
「攫えばいいじゃない。ついては行けないけど、攫われたらどうしようもないじゃない。攫われたんだったらお父様が王に咎められることもないわ。その代わり・・・・・・ゼロは指名手配されることになる・・・・・・それでもあたしを連れて行ってくれる?」
 不安そうに見上げてくる緑の瞳に、完全に捕らわれていることを自覚しながらゼロは腹を抱えて笑い始めた。
「アハハハハッハハ!」
「笑うなんて失礼だわ、ゼロ!あたしは真剣に!」
 アシャに最後まで言わすことなく、ゼロはその唇をキスで覆った。
 噛み付くようなその口付けに、アシャが腕の中で大人しくなるのを待ってから、ゼロはゆっくりとその腕をといた。
「返事を待つなんて俺らしくもないことをしたからか。ハハ、いいだろう・・・・・・お前は今日、たった今、俺が攫う。お前こそ覚悟はいいのか?攫ったからにはもう二度とお前はこの地には帰れないんだぞ?」
「ゼロと一緒にいられるならそれでもいいよ。船酔いも、潮風でお肌が荒れるのも全部我慢してみせるわ」
 ニコリと潔い笑顔でアシャがそう言うのを聞いて、ゼロは再び腹を抱えて笑いだした。
「失礼だわっ!」とまた怒りだすアシャをなだめるように、何度もキスを繰り返す。
 愛しさをこめて、何度も何度も。
 決して離さないと決めた決心を伝えるように。


【総督閣下殿
アシャ姫ノ身柄ヲ預カッタ
 無事ニソノ身柄ヲ返シテ欲シクバ
 身代金 一億ロト 用意スルベシ】

「一億ロトね・・・・・・王でも出せないんじゃないか?」
「あら、あたしの価値はこんなものぐらいじゃないわよ?」
 いたずらっぽくそう言って笑うアシャを、ゼロは愛しさをこめてきつく抱きしめた。
 失わずにすんだこの愛しい存在を永久に離すものかと力を込めて。


−END−


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+++コメント+++
海賊と姫君シリーズは一応これで終わりです。楽しんでいただけましたでしょうか?
海賊のくせに一度も海に出すことなく終わってしまったこの話(^−^;)
書けたらできれば海の話もまた書こうかなぁ〜と思っておりますが、当分はない・・・・かな?

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