【海賊と姫君】
―出会いー

一目ぼれなんてものが本当にあったのだ。
一目見て忘れられない人なんてこの世にいたんだと、アシャはしみじみと思った。
十六の年になるまで、外に出るはおろか、男と口をきくことすら許してもらえなかった自分が、誰かに恋をするなんてことは想像もしたことはなかったけれど、確かにアシャは恋をしていた。
それも今日の昼間に湖であったばかりの名前しかしらない男に・・・・・・。

「誰っ!?」
 ふいに自慢の巻き毛を後ろからひっぱられアシャは慌てて振り返った。
 気配など微塵も感じなかったはずなのに、この湖には自分しかいなかったはずなのにと。
 誰かにここにいることが見咎められてしまったら、また外出禁止を父親からくらってしまうのだ。
 それだけは避けたいところだった。
 てっきり召使の誰かが自分を探しに追いかけてきたものだと決め付けて、アシャは慌てて振り返ったのだが、その視線の先には見たこともない男が一人立っているだけだった。
 黒い、闇のように黒い髪がその男の背までを覆い、獣のように鋭く光る紅い瞳がアシャを見下ろしている。
 自分とは違う匂いのする人種。
 今までに会ったことのない人間。
 肌で感じる違和感に、アシャは言葉を失った。
 なぜか男の方も呆然としたまま、アシャのことを見下ろしている。
「誰なの?」
 アシャは震える唇を悟られないように懸命に声を絞り出した。
 心臓がドキドキと脈打っている。
 男の瞳の中に映っている自分は、ひどく滑稽な顔をしている。
 さっと視線を逸らせたアシャの行動に、男は不愉快そうに眉をひそめた。
「無礼は詫びる。そう怯えるな。子ども相手には何もしないぞ、俺は」
「こ、子どもって失礼だわ!先月十六になったのよ、あたしっ!」
 子ども扱いされたことに、レディの仲間入りをしたと信じている幼いアシャはカッとなって怒鳴りかえした。
 その様子がまた幼さを強調しているのだと言うことにすら、本人は気づいていない。
 男はクックッと喉の奥で小さく笑いをもらした。
「・・・・・・十六ね・・・・十分子どもだと思うが?」
 思ってもみない反撃にあって、男は笑いを堪えながらそれでもさらにアシャの乙女心が傷つくようなことをさらりと言ってのける。
「無礼者!名を名乗りなさいっ!レディを馬鹿にするにもほどがあるわ!」
「・・・・・・ゼロだ。俺の名前はゼロだ。お前の名は?なんと言うんだ、レディ?」
 最後のレディの部分に微妙にアクセントを置きながら、からかうように男―ゼロが尋ねてくる。
 ゼロ・・・・・・どこかで聞いたことのある名前だと、アシャは意識のどこかでぼんやりとそう思っていた。
 けれども、その名前を全身で記憶するかのように、その声ごと脳裏に刻み込もうとしていたアシャは深く考えることができなくなっていた。
「・・・・・・アシャ・・・・」
 アシャはやっとのことで自分の名前を口にする。
 心臓はかわらずドキドキと脈打っていて、とても自分の手には負えなくなってきている。
 顔は赤面するは、手は震えだすは、膝はガクガクとしてくるは、アシャの体は忙しい。
 なぜなら、じっとゼロがその紅と黒の混ざった不思議な瞳で自分のことを見ているからだ。
「・・・・・・ど、どうしてそんなに見るのよ?」
 視線をゼロからさらに逸らしながら、アシャが怒ったように尋ねた。
「見事だなと思って」
 ゼロが低いよく響く声で一歩近づきながら、アシャに囁く。
「な、何が?」
 ヒクリとなる喉をのけぞらせ、なんとかゼロの視線から離れようと、それでも逃げるなんてことはプライドが許さなくって、アシャはその場から動けずに、ただゼロが近づいてくるのを覚悟して目をつぶった。
「この金髪」
 そう言いながら、ゼロはアシャの金色に輝く巻き毛をひとふさ指ですくいあげた。
「この緑の瞳」
 そう言いながら、アシャの顎を捕らえて自分の方へと向かせる。
 そして根気強くその目が開くのをじっと待っているようだった。
 間近にゼロの声が響いてくるので、アシャはぶるぶる震える体に力を入れるために、両目をさらにキツク閉じた。
 ふいに笑い声が耳元で響く。
「ハハッ」
 驚いて目を開くと、やっぱりそこには紅い瞳が瞬いていて・・・・・・優しい笑みをたたえている。
 口元にはまだ笑いがもれているけれども、アシャの瞳を覗き込んでくる紅い瞳は変わらずに鋭く光っていた。
 獣のようだ・・・・・・とアシャはぼんやりと思った。
 一瞬の隙も逃がさずに、自分のすべてを捉えようとされいるような錯覚を覚える。
 吸い込まれそうな瞳に、二人はしばらくの間ほんの間近な距離で互いを見つめ合った。
 ゆっくりとゼロの唇がアシャの目元に降りてくる。
 瞬きをする間より短く、そのキスはアシャの目元に軽く降ってきて、それからついでとばかりに唇の上を掠めていった。
 初めてのキスに我に返ったアシャは、ゼロの両腕の中から逃げ出すために、ドンと彼の分厚い胸板を遠ざけようと両腕をつっぱねたが、悲しいかな、非力なアシャの力ではゼロ真はびくともせずに、代わりに自分の体がヨロリと傾いだ。
 後ろは湖。
 傾いだ体は立て直すことができずに、真ッ逆さまに湖へっ!
 そう思って体を硬くしたアシャを、ゼロは何でもないことのようにヒョイと抱き上げてしまっていた。
 そのままゼロの腕の中へと閉じ込められてしまう。
「湖へ落ちるのが趣味なのか?」
 からかうような声が頭上から落ちてくる。
 アシャは無言でゼロの頬を叩いた。
 パシッと小気味いい音が静かな湖に響く。
「礼など言わないわ!あたしを侮辱すると許さない!」
 アシャはからかわれたことに腹がたつよりも、子ども扱いされたような気がして悔しかった。
 早鐘のように変わらず脈打つ心臓が告げる意味は・・・・・・。
 アシャは叩かれたゼロが何かを言いかける前に、脱兎のこどくその場から逃げ出していた。

「はぁ・・・・・・最低ね。せっかく恋だと気づいても、出会い頭に殴るような女を好きになる人がいるわけないものね。どうしてこうあたしって手が早いのかしら・・・・・おしとやかに、つつましく、レディらしくって言われ続けてる通りにしたら、あの人もあたしのことを子ども扱いしないでレディとして扱ってくれるのかしら・・・・・・?」
 はじめて感じるその思いは、そうとうな厄介な予感を伴ってはいるけれども、それでも十分にアシャの胸の内をときめかせた。
 もう一度、明日になったらあの湖に行ってみよう。
 もしかしたらゼロがいるかもしれない。
 そしたら、まず今日の非礼を詫びて、そしてそして・・・・・・。

「あたしを恋人にしてっ!」
 力いっぱい叫ぶアシャのまぬけたセリフが、次の日の湖に響きわたるのはそう遠くない時間のことである。
 けれど、その幼い潔さ、愛らしさ。
 それがゼロを虜にするなんていったい誰が考えただろうか?
 アシャ自身、そしてゼロ本人すら予想だにしなかった恋の行く末が待っているのだ。


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+++コメント+++
月下美人の間もたせに昔の作品を載せてもらうことにしました(^_^;)短い話なので気軽にお付き合いくださいませm(_ _)m

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