+++ACT.4+++
 龍彦の言葉どおり、龍彦の十六を祝うはずのパーティーには、豪華な広間に似合わない少人数だけで、本当に家族の 者とどうやら竜治の許婚らしい可愛い女の子以外には誰も来ていなかった。
 身構えてきた分、いっきに気が楽になった隼人は、龍彦の嬉しそうな顔に向かって歩いていった。
「十六歳おめでとーな、龍彦」
「ありがとう、はー。遅かったから来てくれないんじゃないかと少し心配していたところだ」
「俺は遅刻しても約束は破らねーぞ」
 いつもパーティに来ない隼人を心配して吐き出された龍彦のさりげない本音に、ムッとしながらも、誕生日パーティーの主役と喧嘩するわけにはいかないと、隼人は自分に言い聞かせながら、話題をずらすようにして気になることを尋ねる。
「で、お前の選んだ許婚とやらはどこにいるんだよ?まさか会わせねー気じゃないよな?」
 そうなのだ。
 立会人になって欲しいとまで言われていた、龍彦が選んだ許婚とやらの姿が全然見当たらないのだ。
 ひょっとして、あの竜治に寄り添っている彼女が龍彦の許婚なのだろうか?と考えた隼人は、視線だけで龍彦に問い掛ける。
「彼女は違う。兄さんの許婚の吉原さん。吉原梨乃さんだ。あとで一緒にあいさつしよう」
 一緒にあいさつという言葉が引っかからないでもなかったが、隼人はコクリと素直に頷いた。
「そんじゃ、お前の許婚はどこにいんだよ?」
 再度、同じ質問を繰り返した隼人に、龍彦は覚悟を決めたように一呼吸置くと、首を横に振ってみせた。
「・・・・・・いないぞ、そんなもの」
「はぁ?」
「だから、いないんだ。俺にはそんな心に決めた人なんて。俺は一生結婚なんかしない、だから許婚なんか必要ないってここで皆に宣言しようと思って、それをはーに立ち会ってもらおうと思ったんだ」
 隼人は真剣に言い募る龍彦の言葉を聞きながら、何が何だかわけがわからなくなっていった。
「だって、お前さぁ、看病したい人がいるとかなんとか言ってたじゃねーかよ?その人はどうなったんだよ?」
「それは・・・・・・きちんとそう言うこともできるよになったら、一人前だって認められて、一生一人で生きていくっていうのを認めてもらえるんじゃないかって思ったからだ」
 どこか偽こちなさの感じられる言い回しで、なんとか隼人に納得してもらおうと龍彦が懸命に言い募る。
 しかし言えば、言うほど隼人の中で疑惑が深まっていく。
 何かを龍彦が隠しているのは確かなのだが、それが何なのかまでは分からない。
 隼人は訝しげにじっと龍彦をみすえた。
「まぁまぁ、こんなめでたい日に揉めるなよ、お二人さん。ま、話は後にしてプレゼントを先に渡してやったらどうだ、隼人?」
 まんじりとして睨みあっていた龍彦と隼人の間に、昨日と同じように何にも考えていなさそうな竜治の声が割り込んできた。
 馴れ馴れしくも、龍彦と隼人の肩を抱き込みながら、スクラムのような形で割り込んできている。
 その後ろに、竜治の許婚の梨乃がちょこんと付き添っている。
 梨乃はとても可愛い。目鼻立ちが調っていて、とても聡明な感じのするスッとした鼻筋がなんともいえない。       
 竜治の許婚でなかったら、自分の彼女にしたいぐらいだ。
 しかし彼女もまだ見るところ高校生のようである。
 きっと自分と同じ一般人に違いないが、海竜寺家の仕来りどおり、竜治と一生を添い遂げる覚悟をただの高校生が決断できるものなのだろうか?
 不思議に思い、じっと彼女を見つめる隼人を竜治がからかうようにして覗き込んでくる。
「何?梨乃のこと気に入ったのか?でもやらねーよ。これは俺のだからな」
「ば、馬鹿っ竜治!何言ってやがる!そんなんじゃねーよ!ただ、たださ、こんな普通の高校生みたいな子が普通だったら関係ない海竜寺家の仕来りにちゃんと従ったりするんだなぁ・・・・・・と思ってさ」
 チラリと梨乃の方に視線を投げかけると、ニヤリと笑った竜治にドンと背中を押されて、梨乃の方へと促された。
 竜治が何を考えているのかなんてわからないが、何となく、見合いのような気分で隼人は照れながら梨乃の前にたって、さっき竜治にいったのと同じ疑問を口にした。
 しばらく考えていた梨乃は、
「私、竜治のこと好きだから・・・・・・結婚もしてないうちから竜治のこと縛れるのはラッキーな仕来りだって思ってる。けど・・・・・・あなたは違うわよね?そのプレゼントの意味ちゃんと分かってるの?」
 最後の方は小声で、なにやら後ろで揉めているらしい龍彦と竜治に聞こえないようにこっそりと尋ねてくる。
「・・・・・・意味って?」
 隼人の方も梨乃の様子に合わせるように、小声で聞き返した。
「―やっぱり知らないのね?竜治がそんなこと言ってたから、ちょっと一般人の私としては忠告ぐらいしといた方がいいかと思って」
 考え込むようにしながら、言葉を選びつつ、梨乃がポツリともらす。第一印象とは違って、何だかとっても竜治の彼女という気がしてくるぐらい、強引なことの運び方だ。
 隼人がまだ何も分かっていないのに、一人で納得したように頷いている。
「何?何が言いたいわけ?」
 イライラとしたように隼人が聞く。
「・・・・・・あなた龍彦くんのこと好きなの?」
「はぁ?」
「恋愛感情で好きっていう気持ちがないなら、そのプレゼント・・・・渡さない方がいいと思うわ。なし崩しにあなたの未来が決定されてしまうんだもの。あなたの意思なんて関係なくなるかもしれないわよ?」
「はぁぁあ?」
 小声でまたもやヒソヒソとまるでいけないことでもしているかのような気になってくる言動で、梨乃が言ってくる言葉の意味を隼人にはまったく理解することができなかった。
「だから、そのプレゼントを渡すってことはね」
「はー!」
 さらに言い募るように耳元に唇を寄せてきた梨乃と隼人の間に、怒ったような龍彦の声が割り込んできた。
 振り返ると、何だか見たこともない表情をした龍彦が怒ったようにこちらを睨んでいた。
 その後ろで竜治がやれやれという風に、肩をすくめている。
「よく考えるのよ」
 怒りの表情そのままに龍彦が隼人と梨乃を引き離しに来た時に、梨乃はそっとまたわけのわからない言葉を隼人に囁いた。
 龍彦は梨乃から隼人を隠すように、隼人の体を自分の背後に押しやってから、威嚇するようにして梨乃を睨んでいる。
「怖い顔。大丈夫よ、私は竜治一筋ですもの。あなたの大事な幼馴染には手を出したりしませんわ。ちょっとした親切心で忠告をしたにすぎませんわ。隼人くんのためにも、そして龍彦くん、あなた自身のためにもね」
 梨乃は鋭く睨んでくる龍彦の視線をものともせずに、澄ました顔で、何事もなかったかのように、竜治の元へと戻っていった。
 竜治が梨乃から何事かの報告を受けて、チラリと隼人の方を振り返る。
―いったい何だってんだ!
 龍彦へのプレゼントを助言したのはほかならぬ竜治自身であるというのに、隼人の方を気の毒そうに見ている。
 梨乃の忠告とやらをまったく理解していないらしい隼人に同情の目を向けているのがありありと分かる。
「おいっ、竜治、てめーっ!」
「はー、構うな。今日は俺にだけ構ってくれ。俺の誕生日なんだからな。あの二人のことは気にするな。それより今年はプレゼントを用意してくれてるって兄さんから聞いたんだけど、くれない気か?」
 龍彦は龍彦で、まるで隼人を竜治と梨乃に近づけないようにしている。話をはぐらかすように、今までしてきたことのないプレゼントの催促なんかをしてくる。
 そのことにびっくりした隼人は、竜治を問い詰めようと思っていた気をすっかりそがれてしまい、ポケットに無造作に突っ込んでいた小さな紙袋を取り出した。
 そのまま何も思わず龍彦に渡す。
「竜治に聞いたらそれがいいって言うからさ、そんなもんでいいのか、本当に?」
「・・・・・・」
 袋の中身をみた龍彦が、中身を覗いたままの格好で固まってしまっている。
「おい、龍彦?」
「・・・・・・これ、本当に俺がもらってもいいのか?」
「はぁ?だってお前んちの仕来りなんだろうが?」
 隼人の質問に対して、龍彦がコクリと頷く。
 しかし、目はまだ袋の中身を凝視したままである。
「これの意味・・・・・・知ってるのか?いや・・・・・・そんなはずないよな?」
 独り言のように龍彦が隼人に質問してくるが、あまりにも小さい囁きすぎて、隼人の耳にまでそれははっきりと伝わらなかった。
「それじゃ、やっぱり不満かよ?違うものがいいなら、また今度二人で買いに行こうぜ」
「いや・・・・・・いや・・・・・・これが欲しかったんだ。とても欲しかったんだ。でも絶対に手に入らないだろうと思っていたから、諦める気でいた」
 袋から視線を上げて、隼人をまっすぐに見詰めてくる龍彦の視線には、奇妙な、なんとも表現できないものが渦巻いていた。
 隼人はビクリと身を竦める。
「な、何を大げさな・・・・・・たかがうちの合鍵じゃねーかよ。お守りになるらしいけど、そんな感謝されるようなもんじゃねーよ」
 隼人は妙な焦りを感じて、しゃべりつづける。まるでこの会話が途切れてしまった時がこの世の終わりだとでも言うように、真っ青になりながら、隼人は懸命に言葉をつづった。
「お前が何も知らなくても、これは正式な申し込みだ。海竜寺家の仕来りどおりにさせてもらうぞ。俺はもう我慢しない」
 しゃべりつづけようとした隼人の腕をぎゅっと掴んで龍彦はそう宣言した。
 それからあれよあれよと言う間に、隼人は龍彦の両親に龍彦が何事かを告げる間も手を放してもらえず、あいさつが済んだ後も、何も言われないまま、龍彦に手を引かれて二階の奥にある龍彦の自室へと連れ去られてしまった。
 ドンッと背中を押されて、何度も来たことのある龍彦の部屋へと押し入れられる。
 そのまま龍彦はカチリと部屋の鍵を閉めた。
 今まで遊びにきて、龍彦が部屋の鍵を閉めたことなど一度もない。
 閉める必要がなかったので、その鍵の存在すら隼人は今気づいたぐらいだ。
「な、何で鍵なんてかけるんだよ・・・・・・?」
「邪魔が入るといやだからな。両親も渋々だが許してくれたが、いつ気が変って邪魔をしにくるとも限らないし・・・・・・」
「じゃ、邪魔って、な、何だよ?」
 吐息が触れ合いそうなぐらい間近に龍彦の視線を感じながら、ドンドンと隼人は部屋の奥へ奥へと押されていく。
 ドンと足元に何かがあたり、バランスを崩した隼人が倒れた先は、ちょうどいい具合にクッションのきいたベッドの上だった。
 素早く起き上がろうとした隼人よりさらに敏捷に龍彦が覆い被さってくる。
「た、龍彦?」
 何だかとてつもなく嫌な予感がする中、すがるように龍彦の名前を隼人は呼んでみた。
 何が何だかわからないし、これから何が起こるのかもまったくわからないけれど、その主導権はすべて龍彦が握っているのだということだけは分かる。
 このわけの分からない恐怖心みたいなものから逃れるには、龍彦の気が変ることを祈るしかないのだということも。
「はー・・・・・・好きだ」
 まっすぐに隼人を見詰めてきながら、龍彦はそんなことを言う。
 聞きなれないセリフに、隼人は目を真ん丸にして、耳の穴をほじくってみた。
「・・・・・・今なんか言ったか?」
 十秒ほど数えてみて、さらに龍彦のセリフを反復してみてから、隼人は聞き間違いであるに違いないと思って、試しにちょっと問うて見た。
「好きだと言った」
 しかし、隼人の期待を見事に裏切って、龍彦は先ほどと同じセリフを繰り返しただけだった。
「な、い、いきなり、な、何言ってんだよ、た、龍彦?お、落ち着け?な?」
 何度もどもりつつ、自分を捕らえようとのびてくる龍彦の手をなんとか避けながら、隼人が懸命に説得を試みる。
「隼人」
 はじめて呼ばれる自分の名前に、隼人はビクリと体を竦めた。
 じっと見つめてくる龍彦の視線が焼け付くように隼人の羞恥心を煽る。今まで平気で見つめあったりしてきたけれど、今は近くにいて目線を合わすのさえ息苦しく感じる。
 龍彦の体の内側から流れ出している、奇妙な違和感が隼人をじんわりと絡め取ろうとし始めている。
 小さい頃は
「はーちゃん」
 たった昨日、いやさっきまでは
「はー」
 と親しみを込めて呼ばれていたはずの自分の名前が、今は熱のこもった眼差しとともに
「隼人」
 と何度も繰り返し呼ばれる。
 そのうえ器用な指先がどんどんと服の中に入ってくるのである。
「ちょっ、龍彦、ちょっと止めろよ、何でそんなとこ触るんだよっ!」
「好きだからに決まってる」
 何とか龍彦を思いとどまらせようと蠢く手を止めようとした手が反対に押さえ込まれ、さらにはうるさいとばかりに唇がキスでふさがれた。
―どこでこんな技覚えてきやがった〜!
 と怒鳴りたくなるぐらいの、巧みなキスで龍彦は隼人をどんどんと追い詰めていく。
「好きだ、隼人。ずっとずっと好きだった。男同士で恋愛できるなんて知らなかったから、ずっとこの気持ちは友情だと思ってた。隼人以外誰もいらなくても、隼人を独占したくって胸の中が焼け爛れるような思いをしても、それはただの友情だってずっと思ってた。でもあの変な本読んで、こんな気持ちが恋なんだってわかった」
「へ、変な本ってあのホモの本かーっ!」
「隼人以外は誰もいらないから、誰と結婚しようと同じだと思って、伴侶を探すこともしなかったけど、隼人を好きでいてもいいって分かったから、結婚なんてする気はなくなった。ただ一人前だと隼人に認めてもらえればそれで良かったんだ・・・・・・あの鍵見るまでは、ちゃんと理性だってあった。でももう無理だ・・・・・・もう止まらないっ!」
 獣のように龍彦が唸るように叫ぶと、再び噛み付くようなキスが隼人を襲った。
―食われるっ!
 思わず目を瞑らずにはいられないぐらい、龍彦のキスや愛撫は貪るように隼人に触れてくる。息苦しくなって喘ぐ先から、またキスで唇をふさがれて、わずかに残った空気ごと龍彦に吸い取られるかのようだった。
「隼人、隼人、隼人!」
 今まで「隼人」と呼ばないことで自分に無意識のブレーキをかけていたのか、龍彦はしきりと隼人の名前を呼びつづけた。
 押さえつけられ、ねじ伏せられ、体中の隅から隅まで龍彦の唇が隼人をたどる。
 そのうち何が何だかわからなくなってきて、意識が朦朧としだした時には、ものすごい激痛が隼人を襲った。
 何が自分の身に起こったのかさっぱり分からなかった。
 ただもうこの世のものとは思えない痛みが体の奥からわきおこり、隼人を苛む。 
「痛いっ、痛っ・・・・・・た、龍彦っ!やめ・・・・・・」
「隼人、好きだ!」
意外に育っていたお坊ちゃまの力にかなわず、隼人は繰り返し繰り返し、龍彦に名前を呼ばれながら、抵抗も空しく、気づいた時には意識を失ってまま、次の日の朝を迎えたのだった



+++ACT.5+++
 目覚めの気分は最悪だった。
 べとべととした下半身。
 裂けるような痛みがずっと残っている。
 隣りにはぐーすかと気持ちよさそうに眠っている龍彦。
 その腕は隼人の腰にしっかりと巻きついたまま、ひっぱっても離れないのだ。
「起きろ、龍彦!」
 思いっきり龍彦の頭をドつきながら、隼人はいったいこの始末をどうつけてやろうか、煮えたぎる頭で考えている。
「おはよう、隼人」
 ニッコリと至福の笑顔を全開にして龍彦があいさつしてくる。
 さらにはキスをしようと伸びてきた手を親の仇のような憎しみを込めて隼人は叩き落した。
「痛い・・・・・・何するんだ?」
 寝ぼけ眼のくせに龍彦は、恨めしそうに隼人をちょっと上目遣いで睨んでくる。
「痛いじゃねーよっ!俺はその百万倍は痛てーんだよ、ええっ!よくも、よくもあんなことをしてくれやがったなー!」
 手当たり次第、辺りの枕や布団を龍彦に向かって投げながら、隼人が喚き散らす。
 それをほとほと困ったなというような大人びた顔つきで龍彦がなだめるように眺めている。
 またそれが隼人の怒りを煽ることになるのだが、とにかく隼人は声が枯れるまで体が動けないので、暴れられない代わりに叫びまくった。
「何でいきなりあんなことしたんだよっ、ええっ!?わけを言ってみろ、わけをっ!」
「・・・・・・鍵をくれたから」
「鍵?鍵をあげたら何で俺が襲われなきゃなんねーんだよ、そんなら世の中の合鍵持つやつは皆やられるってーのかよ、ええっ!?」
「海竜寺家では、十六の誕生日に伴侶にと定めた人から家の合鍵をもらうことが、相手からの求婚なんだ。それを受け取ったら、婚約成立。さらに体をつないだら、結婚も成立する。だから、俺とお前はもうすでに夫婦だ」
「はぁ?」
 きっぱりと言い切る龍彦の言葉が日本語に聞こえず、隼人は何度も耳の穴をほじくる。
 夫婦だとか、結婚だとか、それは男同士の関係で生じる言葉ではなかったはずなのだが・・・・・・?
「だから、隼人はもう俺の妻で、鍵をもらったってことは、俺はこれから十八になって正式に籍が入れられるようになるまで通い夫になるって意味で・・・・・・」
 真面目に、本当に真面目に龍彦が隼人の両手を握り締めてきたりしながら、子供に言い聞かせるように一語一句言葉を選びつつ、切々と話して聞かせる。
 いったいいつから日本は男同士でどうどうと結婚できるようになったのだと突っ込む暇もなく、隼人は目を真ん丸に見開いたまま、龍彦の言うことを大人しく聞いていたのだが、ぎゅっと龍彦の手を握る力が強くなって、隼人は突然ハッと我に返った。
慌ててぶるぶると頭を横に振って、思わず龍彦の自信たっぷりな言葉に洗脳されかかっていた自分自身を叱咤した。
「そ、そんなの俺が知ってるわけねーだろーがっ!そんな海竜寺家のしきたりなんてもんはなー、おまえんちの人間しか知んねーことなんだよ、馬鹿っ!」
「・・・・・・だと思ったんだけど、我慢できなかったんだ。すまない」
「すまないですんだら、警察はいらねーんだよっ!この馬鹿、ボケ、カス、ナスっ!おめーなんか絶交だーっ!」
 喚き散らした隼人は、開きなおってもうどういわれようとも、この結果は動かせない事実なんだと言い張る龍彦の頭を思いっきり殴り飛ばしてから、痛む体を引きずりつつ海竜寺家を後にしたのだった。

 次の日から隼人は龍彦を避けるようになった。
 あいさつをされても無視。けしてうかつに返事をしてしまわないように気をつけた。
 迎えに来られても一人でさっさと行ってしまうようにした。
 合鍵を持っている龍彦が当たり前のように隼人の帰りを待っていたとしても、決して自分の部屋には招きいれたりしない(悔しいことに家族は龍彦をとても信頼しているし、まして男の自分が妻にされたとは言えず、家にいるのだけは黙認しなければならないのだ。
「隼人・・・・・・もうそろそろ口をきいてくれないか?」
 図々しくも、あの龍彦の誕生日の次の日から、なぜか龍彦は毎晩隼人の家で晩御飯を食べるようになり、今日もいつものように隼人の隣りの席を陣取って、こっそりと隼人の家族に聞こえないように小さな声で、龍彦が隼人に囁いてきた。
 それを耳ざとく聞きとがめた隼人の妹の沙希が、
「どうしたの?何が原因で喧嘩してるの二人は?」
 ときいてくる。
 喚きたいセリフは山のようにあったけれども、隼人はぐっと堪え、ご飯を思いっきりかき込んで口いっぱい頬張ってしゃべらない作戦にした。
「ちょっとね。無理じいしてしまったからな。新発見だ。隼人がこんなに頑固者だとは知らなかった」
―ああ、そうですかいっ!
別に新発見で愛想をつかしてくださっていいんですがねっ!
心の中で隼人は、隣りで涼しい顔をしている龍彦にこっそりと毒づく。
「でもそんなとこも可愛いと思う」
 隼人の心の中の声が聞こえたかのように、タイミングよく龍彦がラブコールを送る。
 ここ数日ですっかり龍彦のこんな変な言動にも慣れてしまっている自分が怖い。
 家族ももちろん平気な顔で、龍彦の隼人を誉めるこそばゆくなるようなセリフを平然と聞いている。
―こいつらどっか神経がおかしいんじゃねーか?
 と、隼人が思っていたとしても、回りは誰もきにしちゃくれない。
「ごちそうさまっ!」
 さっさと龍彦の側から離れたくて、隼人はご飯もそこそこに席を立ち上がった。
「俺もごちそうさまでした」
 もうすでに食べ終わっていたはずなのに、隼人が食べ終わるまで待っていたらしい様子の龍彦が、当然のような顔をして隼人の後をトコトコと着いてくる。
 隼人は猛ダッシュして階段を駆け上がり、自分の部屋へと飛び込むと、
『龍彦立ち入り禁止』
 と書いた張り紙を素早くドアに張り、部屋の中へと取って返したのだが、悲しいかな、庶民の家の隼人の部屋には鍵がなかったのだ。
 張り紙など気にもしないで、いつものように龍彦がガチャリとドアを開けて入ってこようとする。
 それを必死で両手でドアノブを握り締めて入れないようにするのだが、あっけなくがチャリと回されて、龍彦が現れた。
「今日こそ口をきいてくれないか、隼人?もういいかげん観念したらどうだ?」
『お前とは絶交だ!』
 隼人は龍彦の言葉に対して、紙にマジックペンで太く文字を書くとそれを目の前にかざした。
 今にも隼人をその腕の中へと閉じ込めようとする体制で、龍彦がその文字を読み、嫌そうな顔をする。
「絶交しても、この結婚は取り消せないんだ。いいかげん諦めろ」
『法律で男同士は結婚できねーんだよ、お前こそ馬鹿言うなっ!』
 と再びペンを走らせる。
「お前は知らないだろうが、この町内では海竜寺家が法律だ。町内ってとこが寂しいがな」
 自分で突っ込みなどいれながら、龍彦が平然と理不尽なことを言い放つ。しかしそれはあながち嘘ではなかった。
海竜寺家は、その昔からこの町にある古い家柄で、この町に住んでいる人間の先祖は誰かしら海竜寺家に恩義があり、未だにじいさんやばあさんは、海竜寺家の前を拝んで通る。
 龍彦が隼人を嫁にくれと一言漏らせば、家族ぐるみで嫁にやろうとするのなんか火を見るよりも明らかだった。
『俺はそんな理不尽な法律とは、断固戦うぞ!』
 さらに太字で書きなぐる。
「無駄だよ。俺が隼人を逃がすわけないだろうが?何年しつこく思い続けてきたと思ってるんだ?お前が諦めるのが一番いいんだよ、隼人」
『い・や・だ!』
 隼人は気持ちの現れとばかりに紙一枚全部使って、大きく三文字書いてみせる。
「愛してるぞ、隼人。そんな捻くれたところもな。今は俺もちょっと強引すぎたと思ってお前の気が落ち着くまでは好きにさせてやるが、一ヶ月待ってもその態度が改まらない時にはこっちにも考えがあるぞ」
 睨んでくる隼人を、余裕の微笑みで見下ろしながら、龍彦は愛しげに隼人の頬をひと撫でしてから、啄ばむようなキスを三回残してゆっくりと帰って行った。
 幼馴染にキスを当たり前のようにされる違和感。
 毎日、毎日、あまりにも当たり前のようにされるものだから、その違和感もだんだん薄れてきているのも事実である。
 文字書くの面倒くさいなぁ〜とか、龍彦と遊べないのはつまらないなぁ〜とか、いろいろ思うところが無いわけではないけれど、ここで折れてしまっては、男がすたるというもので、さらには妻になる自分などというのも想像できないわけで・・・・・・。
 とにかく、断固戦い続けるしか隼人の生きる道はなかったのだ。



+++ACT.6+++
「よっ、新妻の気分はどうだ?」
 出会いがしら、そんな突拍子もないことを尋ねてくる馬鹿野郎はもちろん、竜治しかいない。
 わざわざ隼人と龍彦が別々に帰ってくる、龍彦の家庭教師が来る日を選んで、隼人を待ち伏せしていたらしい。
 すっかり寛いだ様子で、隼人の家のリビングのソファにのんびりと座っていた。
「てっめー!竜治、お前のせいで俺がどんだけ苦労してると思ってるんだーっ!」
 のん気な竜治とは正反対に、ぐったりと疲れきった顔をした隼人は、ことの元凶であるとすら思える竜治に、今までの鬱憤を晴らさずにはおかぬとばかりに胸倉を掴み、きつい眼差しで睨みをきかせて叫んだ。
「まぁ、まぁ、落ち着けよ。義弟よ。ん?この場合、妻だけどいちおう義理の弟でいいんだよな?」
「そんなこたーどうでもいいんだよっ!それより、俺はお前のせいで大変なんだからなっ!何だよ、あいつっ!つーか、お前んちの考えはどうなってんだよ!男の俺を伴侶なんかに選ぶのを何で誰も止めねーんだ?そんでお前は何でそれを手助けするような真似したんだよっ!」
 次々と飛び出す不満に、隼人は息も絶え絶えになりながら、怒鳴りつづける。
 それを平然と聞きとめながら、竜治がヒョイと肩をすくめた。
「何で?龍彦はいい夫だろが?」
「いい夫?誰が?どこが?」
 【夫】という、隼人が今一番むかつくだろう言葉をわざわざ選んで竜治が尋ねてくる。
「お前のことを本気で養っていくために、嫌がってた海竜寺家の跡を継ぐことに決めたらしいし、いろいろ夫婦とは・・・・とか書いてある本とか読んで勉強してるみたいだしな。優しいだろうが、あいつ?」
 真顔でそんなことを問い返される。
 優しいといえば、確かに優しい。
 まるで隼人のことを手中の珠のように、大事に大事に扱おうとしているのが良くわかる。
 話し掛けても、話し掛けても、無視する隼人にめげもせずに辛抱強く話し掛けつづけ、最近ではとうとう面倒くささに隼人の方が折れて、筆談を止めて普通に会話をするようにさえなってきた。
 今日だって、学校で体育の時間に隼人がボールにあたりそうになるのを体を張って止めてくれたり、擦りむいた肘を丁寧に消毒してくれたり、ご飯の時は必ず隼人の席を確保し、椅子を引いてくれたり、電車では隼人を回りから守るように庇ってたってくれたりと、事細かなところまで気を配っている。
 けれど、それはまるっきり女の子を扱う時のような態度でである。
 龍彦にとって、隼人は【妻】という庇護するべき存在へとなったらしいのだが、はっきりいって、それは隼人の望む関係ではない。
 今までみたいに、一緒に馬鹿やって、思い切り笑っていたいし、どんなことでも二人でチャレンジすればできないことなどないと信じていたかった。
 しかし、今の龍彦には隼人と二人でという気持ちは全くない。
 全部、何もかも龍彦自身が矢面にたって隼人を守っていくつもりなのだ。たった一人で何もかもにチャレンジしていくつもりなのだ。
 確かに隼人が女だったならば、それはそれでいい夫だと満足できたのかもしれない。
 けれど、隼人は男で、龍彦のことは友人としてしか見ていなくて、なし崩しに龍彦のものにされてしまうには龍彦を大事に思いすぎていた。なし崩しにこのまま二人の間の友情を、親友としての地位を無くしてしまいたくはなかったのだ。
 そこのところが龍彦には伝わらない。
 そこのところが二人の間に決定的な食い違いの亀裂を生じさせているところだった。
「ま、そんなに考えこまずに、普通に龍彦のことを受け入れてやってくれよな。じゃないとあいつ煮詰まって何しでかすかわかんねーぞ。最近のあいつの愛読書は『夫婦の絆は性生活で決まる』だかんな。気をつけねーと、今晩あたり襲われるかもしれねーぞ」
 真剣に悩む隼人をしり目に、暇つぶしにからかいに来ただけらしい竜治はニヤリと笑うとさっさと帰っていってしまった。
 その後姿を見送って隼人は、
「何しにきたんだよ、あいつ?何か超ブルーになってきた・・・・・・」
 と、盛大にため息を零したのだった。

 龍彦との関係を突き詰めて突き詰めていけばいくほど、答えはあやふやになっていく。
自分がどうしたいのか、龍彦にどうして欲しいのか。
 何をどういっても、龍彦がこの夫婦関係を止める気がないのなら、それを受け入れたうえで解決作を探していくしかないのだろうか?
 キスは慣れたようなきがする。
 隼人の隙をついては、軽いキスから深いキスまで一日何回となくされるからだ。
 最近ではそれを心地いいとさえ思うようになってきたから、ここまではOKを出せると思う。
 けれど正直な気持ち、エッチは二度としたくない。
 死ぬほど痛かったし、気持ち悪かった。
 自分が女のように扱われているのも嫌だったし、龍彦のあの砂を吐きそうなほどの甘ったるいセリフも赤面もので聞くに堪えがたい。
 キスされてぼんやりしているとすかさず、
「可愛い」を連発されるのだ。
 それを合図にいっきに押し倒しにかかって来るのだが、今のところ何とか逃げ切っている。
「えっと・・・・・・初めてエッチしてから・・・・う〜んとどのぐらいたったっけ?」
「一ヶ月だ」
 隼人の独り言に、突然後ろから龍彦の声が答えてきた。
 ビクリと体をすくませて、恐る恐る振り返ると、龍彦が両手を胸のところで組んで、ドアにもたれかかったまま隼人のことを鋭い眼差しで見ていた。
「・・・・・・た、龍彦、いつからそこにいたんだ?」
「五分ほど前かな。真剣に何を考えているのかと思ったら、エッチのことか?もうそろそろ俺とする気になってきたのか?」
 龍彦の恐ろしい質問に、隼人はぶるぶると首を懸命に振ることで急いで否定する。
 それをおもしろくなさそうに見つめたまま、龍彦がわざとらしくため息を漏らす。
「最初に言ったよな?一ヶ月は待つって。一ヶ月たった後のことは言ってなかったか?」
 今度はコクコクと首を建てに振る。
「そうか、それは悪かったな。いいか、一ヶ月たったら、俺の堪忍袋の緒も切れる。そうなると答えは分かるか?」
真面目に質問してくる龍彦の眼差しの強さが恐ろしくて、隼人はぶるぶると首を横に振って、再び否定を返す。
答えなど聞きたくなかったけれど、ここで否定しないのもそれはそれで恐ろしいものがあったので、とりあえず首を振ってみたのだが、後悔先に立たずとはよく言ったものだ。
次の瞬間、クスッと小さく笑った龍彦の口から漏れた言葉に隼人は卒倒しそうになってしまった。
「答えは・・・・・・無理やりヤルだ。それが正解」
 そう言うが早いか龍彦は隼人の両手をねじ上げると、ベッドへとそのまま押し倒し、貪るようなキスをしかけてきた。
「やめっ!嫌だって言ってるだろーが!」
 渾身の力をこめて、繰り出した蹴りもなんなくかわされ、さらにはその足をガシッと捕まえられて、大きく左右に開かされる。
 遠慮もなくズボンの裾から手を差し入れられ、隼人の中心へと伸びてくる龍彦の手に、思わず震えが走った。
 一ヶ月前の痛みを覚えている隼人の体が、恐怖に竦む。
 それをなだめるように何度も何度も優しいキスを降らせながら、龍彦が熱っぽく囁いてくる。
「隼人、好きだ。お前が俺を好きじゃなくても、絶対に逃がさないからな。だからお前も諦めて俺を好きになれ」
「あ、諦められるっかてーの・・・・・・んっ・・・・やめ」
 だんだんと濃厚になってくる愛撫に、隼人の息が上がる。
 恐怖に慄く気持ちとは裏腹に体の方は素直に龍彦に反応していく。
「俺はおかゆも作れるようになったぞ。お前が寝込んでも看病できるようになった。だから今日は思う存分やるからな。お前が寝込んでも、明日は俺が看病してやる」
 龍彦は平然とそんな恐ろしいことを言ってのける。
 龍彦のやる気は十分である。
 きっとその言葉どおり、明日には隼人は立てなくなるぐらいやりまくられるに違いない。
 なんとしてでも阻止しなければと隼人は、ともすれば飛んでいってしまいそうな思考を必死でとどめて考える。
「ま、待て、その理論はおかしいぞ、んっ、こら、そんなとこ触るなっ・・・・・・はっ・・・・・・看病するのが目的で、やりまくるなんて・・・・ん・・・・・絶対に・・・・・・間違って・・・・・・るぅぅ」
 何だか涙声になりながら、必死に訴えてくる隼人は、それがさらに龍彦を煽っているのだと露程も考えておらず、どんどんと知らずに墓穴をほっていき、気が付いた時には取り返しのつかないことになっていた。
「痛ってー!」
 一ヶ月の間、そうとう煮詰まっていたらしい龍彦の容赦ない攻めに、隼人は龍彦の宣言通り次の日龍彦に看病していただくはめになっのだった。



+++ACT.7+++
「お前とはやっぱり絶交だ!」
 二度目のエッチの後、目覚めて動けなかった隼人は、もう一度宣言しなおした。
 一ヶ月の間に、口をきかない作戦は龍彦の根気強さに根負けしてしまい、うやむやにされてしまったが、今度こそは本気の本気で絶交する気で隼人が叫ぶ。
 一度目と違って、二度目は物を投げつける気力さえわかないぐらい、根こそぎ体力を取り去られてしまっている。
「何でだ?おかゆがまずいか?」
 龍彦手製のおかゆをスプーンで食べさせられながら(不本意ながら動けないのでしょうがなくである)、プイッと隼人は横をむく。
 視界にすらもう龍彦は入れてやるもんかと、かたくなに龍彦を見ないようにしている。
「そういう問題じゃないっ!おかゆがまずかろうが、おいしかろうが、どうでもいいんだよっ!お前は俺の意思を無視して強姦したんだぞ、強姦っ!この犯罪者めっ!」
「何を言ってる。夫婦の基本は性生活にあるんだぞ。一ヶ月もエッチをしてなかったんだから、多少の無理やりは大目にみろ」
 一瞬、竜治の言葉、愛読書『夫婦の絆は性生活で決まる』が隼人の頭の隅を掠めた。
 いっきに隼人の気力が萎えそうになる。
 しかし、ここでいいなりになってしまえば、このまま龍彦の思うツボになることが予想できるかぎり、断固として戦わなければならないのだ。
「夫婦って、夫婦って、そんなのお前が勝手に考えてるだけじゃねーかよ!俺は一度として承諾した覚えはねーぞ!」
「・・・・・・鍵をくれた」
 多少の強引さで気まずさを感じていたのか、龍彦が上目遣いに隼人に自分の正当性を訴えてくる。
「ああ、やったさ、ただし、お前の兄貴に騙されてだけどなっ!」
 隼人はそんな龍彦をさらに打ちのめすように、はっきりきっぱりと言い切る。
「一度目のエッチのあと、口をきいてくれたのは俺を許してくれたからじゃないのか?」
 それでもまだ食い下がろうとする龍彦に隼人は、
「お前があんなこと二度としなきゃ、一回ぐらいは水に流してやったさ!お前は俺の大事な親友だったんだからなっ!それなのに、お前は俺の気持ちを確認もせず、勝手に一人突っ走りやがって、俺の忍耐力ももう限界だっ!本気で俺はぶち切れたっ!絶交って言ったら絶交なんだー!二度と俺の前にその顔見せるなー!」
 と、声の限りに叫んだ。
 そのまま燃えるような目つきで隼人を見ている龍彦に、顎でドアの方をしゃくると出ていくようにと目だけで威嚇した。
 ここで踏みとどまるのは得策でないと踏んだのか、龍彦がしぶしぶと部屋を出て行った。
 パタンとドアが閉まった瞬間、隼人はぽろぽろと涙を流しだした。
 悲しいのか悔しいのかわけのわからない感情が隼人を支配する。
 泣くのなんていったい何年ぶりになるのだろうか・・・・・・。
 自分の気持ちが分からない。
初めて感じる困惑に、隼人は正直言って、自分という人間の存在の脆さを初めて実感したのだ。
龍彦は大事。龍彦は隼人が大事。
イコールなようなこの関係。
それを許容できているのかいないのか分からない自分の気持ち。
龍彦の激情を心にも体にも刻まれて、翻弄されすぎて、何が何だかわからなかった。
考えなければいけない。
真剣に、自分の気持ちを見直さなければいけないのだ。
けれどそれも怖い。
それの果てに待っている答えがとても怖い気がする。
知ってはいけない、気づいてはいけないと警報が鳴り響く。
見てはいけない。
けれど見なくてはいけない。
とにかく隼人は時間が欲しかった。
龍彦と会わないでいられる時間が。
龍彦の激情に巻き込まれてしまわない時間が自分には必要なのだと切実に感じた。
 その日、一日中、隼人の涙はとまらなかった。


 今度の喧嘩がいつもの喧嘩と違うということに龍彦が気付いたのは、あの絶交宣言から三日目のことだった。
 今までは、どんなに怒っていて口をきいてくれなくても、自分の態度になんらかの反応を隼人は示してくれていて、最後には隼人が根負けするというのが、自分たちの喧嘩の結末だった。
 けれど、今回はまったく龍彦の存在を隼人が消し去ってしまっているのだ。
 口をきいてくれないのではなくて、まるで話し掛けている龍彦の存在自体を隼人の中で抹殺しているかのようで、そこに自分は存在しないのではないかと思うぐらい、隼人の無視は徹底していた。
「隼人っ、はー、何で口きいてくれない?どうやったら機嫌を直してくれるんだ?」
 腕を掴んで切々と訴えても、隼人はそれを振り払うこともせずに、じっと前を見ている。
 抗いはしないけれど、きいてもいないようだ。
「隼人っ!」
 そのうち普通通りに歩きだした隼人の腕を、龍彦が人ごみにまぎれた時に離してしまった一瞬の隙にスルリと腕の中から抜け出していってしまった。
 龍彦がどんなに叫んでも、決して振り返らない。
「隼人!」
 龍彦は人ごみの中に消えていく隼人の後ろ姿を呆然と見送るしかなかった。

日増しに龍彦の苛立ちが募っていく。
 大好きな隼人が口もきいてくれず、側に寄っても自分を見ようとしてくれない。
 大声で叫んでみた。
 ジタバタと暴れてみた。
 腕の中にずっと抱きしめて逃がさないようにしてみた。
 いろいろやってみたが、隼人は腕の中でじっと抱きしめられているようでいて、そこにいない空気のような存在に感じられた。
 
「どうした?色男が何そんなに落ち込んでるんだよ?」
 居間で頭を抱えたまま微動だにしない龍彦の肩にポンと手をおいて、竜治が話し掛けてくる。
「・・・・・・隼人が俺を切り捨てようとしてる」
 苦しそうにやっとのことでそれだけつぶやいた龍彦に、竜治は微かに眉を顰めた。
 隼人を龍彦にけしかけた張本人としては、二人の仲たがいは見るに耐えないものがある。
 常日頃から竜治は龍彦を猫可愛がりしてきたせいで、ちょっと調子に乗りすぎた部分もある。
「脈ありだと思ったんだけどなぁ・・・・・・?」
 竜治から言わせてみれば、無理やり結婚させられて、それでもまだ龍彦を許せるあたりがもう既に愛だと思っていたのだが、今回ばかりはちっと読みが外れたのか、二度めは無かったということか。
 しきりと首を傾げる竜治に、龍彦がぼそりとつぶやく。
「・・・・・・俺はどうしたらいいんだ、兄さん?どうしたら隼人の気持ちを取り戻せる?」
「う〜ん、こればっかりはなぁ。無理やり以外に言うことを聞かせるのはちと難しいんじゃねーか?あいつも頑固だからなぁ」
 本当に、怒った隼人はカタツムリが殻に閉じこもった時のように厄介なのだ。
 脅迫ぐらいしないとうんともすんとも言いそうにない。
「難しくてもやるしかないんだっ!俺は絶対に隼人を諦めない!」
 龍彦はそれでも隼人を諦める気などさらさらなかった。どんな手を使ってでも、何をしてでももう一度隼人の目を自分に向けるしかないのだと思っている。
 そんな思いつめた龍彦の考えを読んだのか、ポツリと竜治が悪魔が囁くようにつぶやいた。
「・・・・・・いっちょ誘拐でもしてみますか?」
「?」



+++ACT.8+++
 龍彦に絶交宣言をかましてからもうすぐ二週間が経とうとしている。今回は優柔不断な自分にしてはよくやっていると思う。
 切なげに名前を呼んでくる龍彦を見るにつけ、可哀想にならないわけではないけれど、ここで折れてしまっては、待っているのは三度目のエッチである。
 あの痛みはただ事ではない。
 それは絶対に避けるためには、今度こそ情にほだされてはならないのだと隼人は懸命の思いで龍彦を無視しているのだ。
 自分の中で結論が出るまでは、決してエッチなんかしてはいけないのだ。もちろん、キスなんかも冗談じゃない。
 慣れてしまって、今じゃ嫌なのかいいのかすらも分からないのだから。
 隼人が龍彦を避けるのは龍彦が思い詰めているような緊迫した理由からではないことに龍彦が気づいていないのことが幸いしているらしい。
 今のところ、冷戦は続いている。
 本当のところ、隼人に龍彦を切り捨てることなどできないのだと龍彦は知らない。
 隼人にとっても、龍彦は無二の存在である。
 龍彦と自分の立場がもしも逆転していて、自分が夫という立場に立たされていたのであれば、ひょっとしてもっとすんなり男同士で結婚などという突拍子もない考えさえも受け入れていたかもしれない。
 隼人が龍彦を拒む理由。
 それはエッチが死ぬほど痛いからである。
 もうその時点で自分のすでに危ない立場にいる人間だということに隼人は気づいていない。
 普通の男友達にキスやエッチをされようものなら、絶交どころか殴り殺しているだろう自分の気性を隼人はまだ分かっていないのだ。
 龍彦だからこの程度の怒りですんでいる理由は、今のところ必死で自分の思考を探っているがその結論は超ノーマルな隼人にはきつすぎるものがある。
 それに気づけば結局のところ待っているのはホモ街道まっしぐらの道なのだから、目を背けたくなったとしても、それはそれで仕方ないかもしれない。
 龍彦のように割り切れてしまうほうが珍しいのだから。
 とにかく、二人はつまらない理由で自分たちの気持ちがすれ違っているのだとは気づかずに、とんでもない兄弟によって、とんでもない計画が着々と進められていることに隼人が気づかされたのは、次の日のことだった。

「ただいまぁ〜」
 部活に入っていない帰宅部の隼人は、いつもなら龍彦と遊んでから帰ってくるのだが、この二週間ほどは絶交宣言をしたので、遊んでくれる近所の相手がほかにはおらず、まっすぐ帰宅してくるので、まだ日は高い。 
 夕方の五時を回ったころだろうか。
 いつものように、だるそうに帰ってきた隼人に、母親の菊子が慌てたように駆けつけてくる。
「は、隼人っ!大変よっ!沙希が、沙希が攫われたわっ!」
 一枚の紙切れを隼人の方へと差出ながら、めちゃくちゃ取り乱したふうに菊子が叫んでいる。
 それを持つ手はブルブルと震えてさえいる。
「はぁ?」
 今ひとつ事情の飲み込めていない隼人は、のん気にその紙切れを菊子の手から取り、ゆっくりとそれに目を通した。
 その紙切れにはパソコンで打たれた事務的な文字が印刷されてあった。
 内容はこうである。
『隼人へ
   沙希は預かった。
   海竜寺家の倉庫にて待つ。
   隼人以外の人間が来た場合、
   沙希の命はないものと思え
                     龍彦』
「命はないものと思え・・・・・・ってなんじゃこりゃーっ!」
「だ、だから誘拐犯からのて、手紙」
「誘拐犯って、『龍彦』って書いてあるじゃん!何考えてんだ、あの馬鹿!」
「は、早く行ったげなさいよ、ぷぷっ!龍彦くん必死なんだから、ぷっ」
 どもりながら、菊子は噴出しそうになるのを堪えている。
 震えていた手やどもった喋りは、どうやら笑いを堪えていたものらしい。
「沙希は?本当に攫われてるのか?」
 ギッと菊子を睨みながら、隼人が沙希の不在を確かめる。
「遅いなぁ〜と思ってたら、この手紙持って竜治くんが来てね、沙希を預かってるって言うから、本当に掴まってるらしいわよ?」
 ひとしきり笑い終わって気が済んだのか、ケロリとした顔で菊子が隣りの海竜寺家を指差す。
「・・・・・・また竜治のやつの悪知恵かよ」
 ほとほと困り果てたようすで、隼人が頭を抱えて玄関に座りこんだ。
「いいじゃない、龍彦くんそれだけ真剣なんだから、嫁にぐらいイってげたら?あんないい男そうそういないわよ?」
「はぁ?」
 隼人はさらに追い討ちをかけるように菊子がいう言葉に目を丸くした。
 龍彦と自分の関係を当然のように知っているらしい菊子の言葉に、隼人は赤面ものの、憤死寸前である。
「な、なんで・・・・・・?」
「何で知ってるのかって?そりゃ、一ヵ月半ほど前に、お前が寝込んでいるときに龍彦くんが『隼人をください』ってあいさつに来たからに決まってるじゃないの。ほほ」
「ほほって・・・・・・勘弁してくれよ、母さん。そんな笑って話すような話題じゃねーじゃんか」
「あら、めでたい話だから笑ってて当然でしょ?さすが私の息子だけあって、あんた結構可愛い面してるし、龍彦くんは男前だし。金持ちだし、気持ちは真剣だっていうし、これでうちの家の海竜寺家への恩は返せるわぁ〜」
 などといいながら、菊子は鼻歌まじりにウィンクを一つ寄越した。
 ここまで予想通りの回答をされて隼人はいっきに脱力してしまう。
 自分があれだけ考えた周囲に対しての問題だとかも、男のプライドだとかもズタボロである。
 ちょっとぐらい怒って殴り飛ばしてくれるぐらいのノーマルさがこの家にはないのかと、隼人はますます脱力してしまった。
 グズグズしていて蹴り出されてしまった玄関を後にして、とぼとぼと海竜寺家の庭の隅にあるはずの倉庫へと向かわざるをえない。
 殺しはしないだろうが、何をするかも分からないのが龍彦の怖いところである。
 勝手知ったる他人の家。
 セキュリティも何のその、声紋チェックをなんなくクリアして(もちろん隼人の声が登録されてあるのだ)スタスタと倉庫へと進んでいく。
 庭の隅に忘れ去られたように、海竜寺家の建物にしてはボロボロの木造の二階建ての倉庫が建っている。
 龍彦たちのひいじい様がお気に入りのガラクタを詰め込んだらしいもので、遺言で決して壊すなと言い残されているらしい。
―なんでこんな汚ねー建物で待ち合わせなんだ?
 隼人は扉をガンっと蹴り上げ、派手に音をさせて中へと入って行った。
「お兄ちゃ〜ん、こっちこっち」
 倉庫の二階の手すりから、元気満々な沙希が手を振っている。
「・・・・・・お前なぁ・・・・ちょっとは掴まってるっぽく演技でもしろよ」
 隼人は文句タレながらも、二階へと駆け足で上っていこうとした。
 が、一歩階段に足を踏み出したとたん、
「そこで止まれ、隼人」
 沙希の後ろに立っている怖い目をした龍彦が、頭上から隼人に命令してきた。
 けれどまだ絶交宣言を取り消したわけではない隼人は、その言葉を聞こえないふりをしてずんずんと沙希たちの方へと近づいていこうとする。
「止まれ、隼人っ!」
「お兄ちゃん?」
「止まらないなら、俺を見ないなら、沙希ちゃんをこのままここから突き落とすぞ、いいのか?ここで人一人どうなったところで、誰も何も言ったりしないぞ、たぶん。それでもいいのか?」
 不気味に無表情のまま龍彦の腕がぐっと沙希の制服の襟を掴んだまま、長い腕を階段の方へと突き出す。沙希の体が不自然な姿勢で傾いている。
 龍彦が襟を掴んでいる手をはずせば、そのまま階段のてっぺんから転がり落ちてしまいそうである。
「・・・・・・」
 隼人は一瞬どうしようかと躊躇い足を止めはしたが、それでも龍彦の方を見ようとはしなかった。
 恥ずかしいのである。
 自分をくれ宣言を、きっと沙希も知っているのだと思うと、恥ずかしくて龍彦を沙希の前で見ることなどできないのだ。
 けれど、それを誤解したままの龍彦は、隼人に嫌われていると思い、悲しげな顔をして眉を寄せた。
「本気だぞ、隼人。俺を見ろ。俺を見て、俺を好きになれ!じゃないとこのままこの手を放すぞ!」
 最後の通達とばかりに、龍彦が声を張り上げる。
 その声の中に含まれた本気に、隼人はびっくりして思わず視線を龍彦に向けてしまった。ばっちりと龍彦と、そして龍彦の前に立っている沙希と目があってしまう。
 次の瞬間、ボッと真っ赤になった隼人の顔に、沙希は呆れたため息を吐き、龍彦は不思議なものを見る目つきで隼人をみた。
 明らかに龍彦を意識している隼人を、龍彦自身がはじめて見たからだ。
 どんなに抱こうが、キスしようが、嫌がる顔しか見せてくれなかったから、こんな照れたような隼人のはにかんだ顔を龍彦は初めてみたのだ。
 絶交宣言をしていた二週間の間、隼人の気持ちが軟化していっているなどと考えもしていなかった龍彦である。
 そう思っていたからこその、今回のこのしょうもない茶番劇を仕組んだのだから。
 「たっちゃん、私、お邪魔みたいだから帰るから手を放してくれない?」
 敏感に二人の微妙な空気を察知した沙希が、まだぼんやりと隼人を見つめている龍彦のわき腹をつついて催促する。
 ハッとして龍彦が慌てて沙希を安全な態勢に戻して手を離した。
 そうしている間も、龍彦の視線は隼人から決して逸れない。
 何だかこそばゆいぐらいの甘ったるい空気を感じた隼人が視線を先に外そうとしたとたん、
「隼人っ!」
 と名前を叫ばれた。
 必死な呼び声。
 隼人を欲して止まない声。
「何で俺なわけ?」
 今まで考えたこともない理由とやらを教えてもらって、ひょっとして自分が納得がいったりなんかしたら、龍彦のモノになってもいいかもしれない・・・・・・などという考えが、隼人の頭の隅を掠める。
「・・・・・・」
「言えよ、龍彦。納得いったらお前のモノになってもいいぞ」
 さっき思った言葉を口にしてみて、それに対してやっぱり思ったほど違和感のない自分に、隼人は苦笑を漏らした。
「・・・・・・一目ぼれだったんだ・・・・・・初恋だって言ったら笑うか?」
 初恋・・・・・・なんとも龍彦らしい、可愛らしい理由である。
 けれど、隼人は何だかその理由が気に入ったようである。
 めったに見せない全開の笑顔のまま階段をいっきに駆け上る。
 そのまま、勢いに任せて龍彦の腕の中へと飛び込んだ。
「隼人?」
 戸惑いつつも、しっかりと二週間ぶりの隼人の感触を受け止めて、龍彦が名前を呼ぶ。
「よっしゃ、合格」
 ニッと笑い、隼人は思い切って自分から龍彦へとキスをした。
 真っ赤になった龍彦の顔を可愛いかも?
 などと思いながら隼人は、その真っ赤な顔が近づいてくるのを視界の端に捉えながら、二度目のディープな龍彦からのキスを予想してゆっくりと目を閉じたのだった。


おわり



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+++コメント+++
★いつもいつも途中で短く終わってしまうので、ちょっと短編をお送りします〜。昔書いたやつなんだけどねぇ。久しぶりに読むと恥ずかしいわ(^−^;)男同士で結婚なんてありえませんて言われた作品です(笑)その非常識っぷりをどうぞご堪能くださいませ♪
**円屋 まぐ**

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